子供たちは、私がナイフで鉛筆を削ると、何だかすごく感動するらしい.ウチにはシャープナーはないし、シャープペンシルの書き味はきらいなので、私は今だに鉛筆を使っているのだ. この間から、中学2年生の一成が、突然、カッターナイフを買ってきて鉛筆削りをはじめた.以前に、ナイフの持ち方、鉛筆の削り方を、チョッと教えた事があるのだが、何となく覚えているらしくおぼつかない手つきではあるのだけれど、まぁまぁそれほど危なっかしい風ではない. 私も、そんなこと、してないで! などとは言わずに黙って削らせている. 「ナイフの方は固定して、鉛筆の方を引いてご覧.そそ、左手の親指をナイフの背において、それを梃子にして鉛筆を引くのよ.」などと、時々声をかける. 「あれ〜〜、ヒサンだ・・・まっ、いっか〜.」などと独り言を言いながら、削り終えた曲がった鉛筆で、問題の続きをやり始める. 「やっぱ、曲がってるから、ちょい書きづらいなァ・・・」なんて言いながら、である. しばらくすると、また削り始める.で、小6の慎吾に、「見ろよ、こんなに薄く長く削れたよ.」と、削りクズを見せたりしている.「今度はチョッとうまく出来た!」と、得意げに私に見せたりする. 「おぉ〜、大分上手になってきたじゃないの、いいよぉ!」 と、誉めてやると照れくさそうにニタッと笑って、学校でも休み時間に削ってるんだ、と言う. そうだよね、私も子供のころ、いつも休み時間に鉛筆を削っていた.今、考えてみると、あれは或る種、切り替えのための儀式だったような気がする.今でも、デザインを描く前に、鉛筆を何本も削る.削っていくうちに自分の中で、何がしかの用意が出来る. 次の作業のための気持ちの用意が出来るような気がするのだ. 「あ、そうか・・・な〜んだ、これでいいじゃん.」と、突然に一成が独り言を言い、ノートに図形問題の解答を書き始める.彼も、どうやら行き詰まった時の気分の切り替えに、鉛筆削りの作業を使い始めたらしい. さて、私も鉛筆を何本か削って、書きかけて行き詰まっている大事な手紙の下書きでもしようかしら・・・ |
夕べ、久美ちゃんからメールに添付されて一枚の写真が送られてきました. とあるビルの屋上で、右側に、白い手すりを後ろに立っている中年の白人男性.毛糸で編んだ帽子、背中にリュック、サングラスをかけた観光客の記念写真風.眼下にはたくさんのビルが立ち並び、左側にはゆったりと広がる海、雲ひとつない青い空. そして、中央寄りの左側に、飛行機…まっすぐに、写真の中央に機首を向けて、銀色に鮮明に輝いている…右下には、09 11 01 の文字. そうです.あのテロ事件の直前の写真なのだそうです.瓦礫の中から掘り出され、今もって撮影者は不明とか、と書いてありました. 一瞬、言葉を失いました. この瞬間からほんの何秒かの後に、写真の中でかすかに微笑んでいる男性も、それを写した誰かも、そして、飛行機の中にいるだろう何百人かの人たちも、被写体の男性の足の下のトレードセンターで働く6000人あまりの人たちの命も失われた…そして、今現在、アフガンでも…様々な思いの交錯する中に失われていくたくさんの命がある. ひょっとして本物ならば、当然著作権その他の問題もあるだろうし、ここは一応公開の場ですから載せるわけには行きませんけど…それに、ま、本物かどうかも分かりません.今の世の中では、このくらいの合成写真はすぐできるでしょうしね. などと思いつつも、チョッと皮肉屋の知人に転送しました.案の定、「どこで手にいれたのでしょうか.出所は気にしなくていいの?」ですって! やっぱりネ.(^.^) そそ、それが全く健全な反応なのですよね.鵜呑みにしちゃ、危険だよ、と. ただ、私は報道関係者でもないし捜査官でもないから、とりあえずは“鵜呑み”にします.この写真が、本物かどうかなんて、関係ない.この写真が引き起こす私の中の思いが先なの.虚実の境に生まれてくる私の思いが….文学少女のなれの果て、としてはね! そして、この一枚の写真が私の内部に引き起こした様々な思いに集中します. そうだよね、人生には思いも寄らない結末が口を開けて待っていることがある.そのきっかけが、テロにもせよ、病気にもせよ交通事故にもせよ、思いがけず失われる命の瞬間がある.思いがけずに失われる命を前に、たじろぐ時間があることもあれば、その余裕もないままにそれを迎える事もある.そして、生き残って、その全てを見詰めつづけなければならないものたちの生がある. 個人の死は、それぞれが極めて計り知れないほどの重さを引きずっているのだろうけれど、それはあくまでも個人的な出来事で…客観的にはそれが戦争のきっかけになったり、単なる数字の羅列の中で風化してしまったりする.本当はその一つ一つに、極めて個人的に、今だに流れつづける血と傷口があるわけで. どういうわけか、多くの死に出合いつつ生きてきた私にとって、死とは、かなり近しい関係を築いてしまっているのかもしれません.年齢もあるのかもしれませんけどね.虚実の境目に立って、馬鹿げた事に古傷から血が流れ出す事もあるのですよ. 夕べは久し振りに沢山、お酒、飲んじゃいました! あははは. |
夕べはがんばって、獅子座流星群を見ました.夕べじゃなくて、正確には今日、ですけど… 夜中の1時45分くらいに、Gパンの上に、フリースのズボンを重ね着して、頭から毛布をかぶってベランダへ.とても他人様にはお見せできない姿ですけどネ.(^^ゞ で、ベランダのベンチに寝転がって東の空を眺めていると、まず始めに、眼の片隅に尾を引いて星が流れました.ハッと思ってみたけど間にあわず、これは残像だけ! どこに出るのかが分からないんですからタイヘンなものです. 頭上にはオリオン座の三ッ星が、煌々と輝いています.最近、夜空を見上げる事もなかったなァ、などと思いながら見ていると、今度は真正面に… 街並みの上の夜空は、やはり街明かりが邪魔をしているのか、それともスモッグが漂っているのか、頭上のそれほどはっきりは見えません.でもそれで、かえって星の引いている尾が、スモッグに反射して緑色に光って、それはそれで幻想的! 何年か前の “しし座流星群” の時には、やはりベランダで、主人と一緒に歓声を上げながら見ていました.今度は1人です.あの時は、願い事を言うのも忘れて、見とれていたからいけなかったのかも…ちゃんと2人揃って “ジイサン・バアサン” になれますように、とでも言って置けばよかったのかも、な〜んてネ! 今度はちゃんと二つだけ、お願い事をしました.中味は ひ・み・つ !!(^.^) この星たちは、何百年も前に消滅した時の輝きを、今、私たちに送ってきていると思うと、なんだかとっても不思議です. 宇宙と言う、限りなく膨大な空間を前にして、日常の事なんて、ホントに瑣末な事に過ぎないような気がしちゃいました.まぁ、その瑣末な出来事に、一喜一憂しつつ暮らしているのが現実なんですけど. 全部で、流れる星たちが20〜30くらいは見えたかもしれません.数えていなかったから分からないけれど、随分たくさん見たような気がします. こうしてたまに夜空を見上げるのは、いいなァ…限りなく優しい気持ちになれるし、パソコンで疲れた目も休まるし!! 流星群がなくったって、時々夜空の星を見上げるようにしましょう・・・あれがオリオン座の三つ星・・・星の光とともに優しい想いが訪れるかもしれませんものね. |
先日、陶芸教室でご一緒している相澤さんから、油揚げと、卯の花を頂戴致しました.何でも、相澤さんのお住まいの竜洋町で、月に一回だけ、油揚げをつくるお爺さんがいらして、その方の作られたものとのことでした.ですから、卯の花も、その時に出る手絞りのおからで… 翌日は朝から早速、料理です.卯の花は、干し椎茸と、にんじん、葱を加えて炒り煮.油揚げは、昆布と鰹節の出汁で含め煮にして、大判でしたから4等分して五目稲荷を4個.残りは、含め煮にしたまま冷蔵しました. 料理をしている間中、「あぁ、これって、子供のころに知ってる油揚げの匂いだわ・・・」 と、うれしくなっちゃいました. 考えてみると、今、私たちが通常口にしているものは、随分、昔とは違うものになってしまっているのかもしれませんね. 卯の花も、時々スーパーなんかで売っていると買ってきて作ったりするのですが、何となくパサついて、イマイチって感じなのですが、これは本当にしっとりと煮上がって、いくらでも食べられちゃう! 油揚げも、ちゃんと香り、歯ごたえがあって、充分過ぎるほどに立派なおかずの一品です! 食卓は、昔に比べて豊かになったと言われていて、確かにそうなのでしょう.私の子供のころなんて、トンカツなんぞは大ご馳走.よっぽどの事がない限り食卓にでるものじゃありませんでした. なにしろ、医者と言っても国立病院勤めの国家公務員のビンボウ医者の家庭なんですから、質素なものです.そういう中で卯の花や油揚げの煮物、ほとんど肉らしい肉も入っていないようなカレーなんかを食べて育ちましたよ. それが今では、いろんな食材が季節を問わず有り余るほど手に入るのですから. でも、何か違うのですよね.パサパサの油揚げ、機械で絞りきった卯の花、もう、香りも味もありゃしない… キュウリもトマトも、野菜は香りが淡白になっています.キャベツも煮込むとクタクタになっちゃう. 何十年もかけての、少しずつの変化だから、自然にそれに慣れちゃって、普段はなんとも思わずに口にしているのですが、今回のようにこういうものを戴くと、ふと我に返ります. 豊かさって、何なんだろう、と… 月に一回だけ、時間をかけてお豆を煮て、黙々とお豆腐を作り油揚げを作っている老人の後姿が目に浮かびます.おそらく自分の作る油揚げに対する誇り、そしてそれを心待ちにしている人たちの喜び.多分、たくさんの愛情なんでしょうね. なかなか、誇りと愛情に満ちたものを手にすることが難しくなっているのでしょう. やはり、陶芸教室でご一緒している内田さんから毎年頂戴するピーナッツも、今は大事に冷蔵庫の中です.これも香りが絶品! だから、大事に冷蔵庫に入れて、お客様が見えるときに、これで“ピーナッツなます”を作ります.美味しい物を1人で食べたらバチが当たっちゃうでしょ? 美味しいものはみんなで食べなくっちゃね!! 食材を作っている方の愛情に、さらに愛情を加えて、美味しく作ってやらなくっちゃ…申し訳がありませんよォ. |
アメリカでまた航空機事故だそうです.11月12日.今は、その続きの13日午前1時9分. この間のワールドトレードセンターのテロ事件と、ほぼ同じ時刻で、日にちも一日違いです.場所もクイーンズ地区.けっこう近いらしい. テロなのか、偶然の飛行機事故なのか・・・アメリカでは12日は 「退役軍人の日」 という祭日で、3連休の最終日なのだそうです. パンドラの箱は、とっくの昔に開けられていたのだけれど・・・ たまたまの事故ならば、不幸中の幸いですけれど (と言うには、あまりに多くの命が失われているのですが…) 、事実はいったい何だったのでしょう? 自衛隊も出発しました. アメリカの経済も大打撃を受けています. TVでは、アフガンでの戦闘が、アメリカの目線で、まるでTVゲームのように、放映されています. 先日は 「大変興味深い映像」 という触れ込みで、タリバン兵が、一瞬の内に爆弾で吹き飛ばされる映像が放映されましたよね. アメリカ国内での反応を見るためだ、とか、解説されていましたけど・・・ 今のこの一瞬でも、アメリカで、アフガンで、どれほど多くの命が失われている事か、と思うと、言葉もありません. 国家とは、宗教とは、国益とは、国の威信とは、一体どれほどの 「血」 を要求するものなのでしょうか? 人間って一体何なんでしょう??? どうぞ、この事故が、テロの結果ではありませんように!! |
あはは! ホームページ・コンテストって言うのがあって、参加しませんかって来たから、参加しちゃいました. 三つの部屋のコンテンツのページの、投票ボタンを押すと投票できます. 投票締切日は、12月5日(水)ですって.投票して、賞金稼ぎ、させてくださ〜〜〜い! 賞金稼いだら、みんなで盛大に、飲みましょ!!! |
思いもかけず 二年前の或る日 突然 独りになってしまって 初めて気付いたよ 独りでも、けっこう楽しくやっていけるもんだって 怖がることなんて、何もなかったんだって 考えてみたら、多くの愛に囲まれていても やっぱり最初から独りだったんだから あたりまえのことだよね 独りと独りだから 人は愛情を築き 友情を築いて生きている 独りと独りだから 人はやさしさの意味を 痛切に知るんだよね 独りと独りに気付いた時に はじめて ちゃんと息苦しくない距離を 人との間に保っていられるようになるんだと そんな風に思ったよ |
昔から、初老の女や男が憧れでした. ちょっと老いを感じ始めた年頃の女や男の持つ深い魅力ってありますでしょ? 人生を物語る“しわ”を刻んで、深く、暖かく、堂々と、そして、悲しみに満ちて自分である美しさって、若い頃から、本当に憧れていました. まァ、自分がとっくにその年頃になって、さて、魅力とは?って言うと情けない話が、全く自信はないのですけど、ネ.(^^ゞ 何で、こんな話をはじめたかというと、夕べ、“タンゴ・レッスン“と言う映画を見た所為なんです.とてもステキでした.主人公の女流映画監督の役をしてる Sally Potter が、とても魅力的だったのです. まぁ、後どのくらいの人生が約束されているのかはわかりませんけれど、生きている間は、何かに夢中になって、一生懸命走っていたいものですよね. “精一杯生きろ.そして苦しめばタンゴがわかる” ですって! “遊びをせむとや 生まれけむ” も同じことかもしれません.その言葉の重さを本当に噛み締め、いとおしく思うことが出来るのは、やっぱり初老を感じ始めてからではないのでしょうか? |
今日のTVで、来年度の浦安市の成人式は、ディズニーランドですることになった、と放映されていました. ニュースにもなった去年の成人式風景が映し出されて、ディズニーランドは、アルコールの持込が禁止なので、良いかもしれないですネェ〜と、キャスターやらコメンテーターたちが口々に言っていました. 去年は筑紫さんが、今時の年齢は7掛けだから…って、確か発言していましたけど、20×0.7=14歳か? その年頃ならディズニーランドもうれしいかもしれないけれど… ここ3年ほど、日本の自殺者の数は毎年3万人を超えているのだそうです.統計によると一日あたり18.7人が自殺してることになるのだそうです.失業率も、5.3%…で、おこちゃまの成人式がディズニーランドかぁ…成人するって一体どういうことなのでしょう? アフガン情勢やら、自衛隊の派遣やら、頭がパンクしそうに考え込んでしまう事が山積してしまった21世紀の始まりの年も、後二ヶ月で終わりです. 来年はどんな年になるのか、10年後にはどうなってるのか、若い人たちには、ちゃんと敏感に情報を捉えて、考えてもらいたい事、感じ取ってもらいたい事が山のようにあると思うのですが、そんなことを思ってみても大きなお世話なのかしらね・・・ ま、子供の側の問題もあるけど、大人の側・行政の側にも問題山積って感じ・・・溜息が出ちゃいました. |
to the next month. | to this top |