ほぼ二ヶ月がかりで、やっとこのページが完成しました.
車に乗り始めたときと同じで、パソコンなんざァ、ハナっから私には向いていない!と思い込んでいたのですが、やり始めたらこの面白さ…
もちろん慣れないHTMLで悪戦苦闘の連続ではありましたけれど、最近になって、また、その悪戦苦闘を楽しんでいる新たな自分を発見して、驚いています.それにしても粗忽者の私はしょっちゅうタグを閉じるのを忘れたり、スペルを間違えたりで…えっ、なんで? どうして? の連続でした.
で、分かったこと.
【 “うまくいかない”ことには原因がある! 大抵は、自分の自信のなさから、その原因を見落としてしまっている.でも、少し慣れてくると、なんとかその原因を自分で探すことが出来るようになる.】ってこと.
こんな簡単なことの発見にカンゲキしたりして.
大昔は、完全な文系・文学少女(?)でしたから、このような世界とは一生無縁なものと思っていたのですが、そうばかりではなかったようです.
モチロン、指導者に恵まれたということ以外の何者でもありませんけど、ネ.
( 指導してくださったK.T.氏に、深く深く、感謝、です!)
これからは、また、かつての文学少女に戻って、エッセイでも書き綴りましょうか…
2001/3/13
to top. | to this top |
9年間共に暮らした猫の忠吾が、死にかけています.もう、一年半ほど病院へ通い続けたのですが、どうにも手の施しようが無くなってしまいました.
具合が悪くなってから10日余り.ほとんど何も食べずに、痩せ細って、妙に手足が長くなったように見えます.それでもヨロヨロと、トイレに行き、呼ばれれば来て、私に抱かれるとゴロゴロと喉を鳴らしたりしています。
あなたが死の病を宣告された時、私は、動揺すること、悲しむこと、感情的になることを自分に禁じ、そして、その残された生と死の一部始終を、真っ直ぐに見つめて暮らしました.
それが、今度は出来ないのです.死にかけた忠吾を前にして、私は、動揺し、悲しみ、感情的になっています.不思議なことですね.
あの時、あなたもどうやら、感情的になること、動揺することを、自分に対して禁じていたようでした.
私たちは二人で、結構明るく暮らしましたよね.多分、私がそうであったように、あなたの中にも表に出すことを禁じてしまった自分がいたのだと思います.
それがお互いの思いやりや優しさだったのかどうなのか、今となっては知りようもありませんけれど…あの時自分の中に何があったのか、未だに私には見えてきません.そんなに美しいものでもなかったような気もしています.
もっと感情的になってしまったほうがよかったのかも、と思う時もあります.本当は二人して沢山の涙を流すべきだったのかもしれません.そのことの結論は、私にとっての永遠の謎であり、永遠の課題なのでしょう.
もうすぐに忠吾もそちらへ旅立つでしょう.そちらの世界で出会ったら、また、可愛がってやってください.もう、あなたにお願いするしかないことですもの.
2001/3/22
to top. | to this top |
彼岸開けの23日に忠吾が死にました.まだ9歳で、若いと言う程ではないにもせよ、老猫と言うわけでもなかった所為か、死に至るまでは、なかなか大変でした。
夕方5時過ぎにもう動けなくなってから、5時間.膝に抱いて、話し掛けたりすると、それでもかすかに答えたりして… 死の瞬間に、すーっと瞳孔が開いていく、その緩やかな、しかし素早い動きは一生忘れられそうにありません.その夜は、Jazzを聞きながら、ずっとワインを飲んでいました. 次の日に、満開の椿の根元に埋めました. 今日見ると、盛り上がった土は、一面の椿の花で埋まっています. 猫とにせよ、人とにせよ、確実に訪れるものが別れであり、死なのですから これはもう仕方のないことで、でも、決して慣れる事は出来ません. 一つ一つの死は、それぞれに重たすぎるものですから. |
2001/3/25
to the next month. | to this top |