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2001・5月

 第24回釉子會創作工芸七宝展  2001/05/01

4月12日から17日まで、静岡市の石上画廊で、第24回釉子會創作工芸七宝展を開催しました.

それに伴うさまざまな雑用で4月は手一杯.

振り返ってみると毎年一回ずつの積み重ねで24回.まァ、もう来年は25回展で、四半世紀にもなります.改めてびっくり.
いくら、他に“芸”が無いからとはいえ、よくやるわ、バカみたい… って思っちゃいました.

年々歳々疲れてきて、もう止めちゃおうかなぁなんて思ったりもするんですけれど、やっぱり、これを積み重ねるから生徒さんたちも確実に上手くなるわけで、止めちゃったら大きなものなんて誰も手がけませんしね.

実際、私だって公募展の締め切りがあるから作品作ってるような所もあるわけで、それがなかったらタライ抱えて20日間も研磨するような仕事なんてしないだろうし、それと同じことですものね.とにかく生産性のない、時間ばっかり食っちゃう仕事なんですから.

よく主人に言われましたっけ.
「仕事ってのは稼いでナンボのものなんだから、おまえのは仕事じゃない、道楽と言え!」って.全くその通りです.
道楽人生みたいなもんですワ.

さて、来年は25回展.それなりの区切りです.
生徒さんたちは 「先生、盛大にやりましょ!」って張り切ってるけど どうなりますやら…
いったいいつまでやるのやら? と、なんとなく他人事のように思ってしまうこの頃です.
でも、がんばらなくっちゃ、ネ.

2001/05/01

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 異形のもの  2001/05/04

ゴールデンウィークの真っ只中、ちょっと暇を持て余して今日はビデオ三昧でした.

遅まきながら、「アメリカ版ゴジラ」も借りてきてしまった・・・
ジャン・レノはいいですよ.色気がある.オトコの孤独感ってヤツ.

でも、あの手の映画を見るたびに、なんだか、ゴジラの側の方がずっと可哀相に思えてしまう.

高校生の時だったと思うのですが、国語の教科書に載っていたエッセイで、シュバイツァー博士が身近に置いてある「銃」のことに関して、自分が銃を持っているのは樹の上の小鳥の巣や、小動物を狙ったりする蛇やなんかを撃つためだけのものである、ってな事を書いていて、その時も似たようなことを強く感じたのです.蛇なら殺してもいいってのか?って.

人間にとって「異形のもの」であるというだけで、魂の痛みもなく排除されてしまうものたち.それってないよなぁ…「異形」であろうとなかろうと、それはたまたま、それぞれの存在のあり方にすぎないわけで、全て、食べなきゃ生きていけない事に変わりはない.そこで、「異形」であるがゆえに排除されるほうの身になったらたまりませんよ.

冬なんかに、よくマスコミで熊や鹿、猿なんかの被害の記事が出ますよね.あれだって見方を変えれば彼らのほうが食域を狭められた被害者と、考えられるわけで、ただ、熊や、場合によっては犬なんか、人間を傷つけたりすればそれだけで射殺されたり、保健所にまわされて薬殺されたりしますよね.犬にとってみるとすごくストレスの多い飼われ方をしているケースが多かったりするようですけど.誰もその理由なんて聞いてくれないわけで、もっとも聞かれた所で犬には答えようもないのだけれど…

「ひと」であるだけで「絶対」なんでしょうかねぇ?
今度の「ゴジラ」も、昔見た「エイリアン」も、なんだかすごく可哀相でした.

2001/05/04

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 HP開設  2001/05/18

夕べ、正確に言うと今日になった午前2時に、やっとホームページのアップデートを終わりました.
それだって、ダウンロードしたFTPファイルの使い方が分からずに前日の夜9時過ぎから右往左往して…
ヘルプも読んだのですがイマイチわからず、で、結局また、K.T氏のお手を煩わせちゃいました.
ゴメンナサイ!
今度こそ、ちゃんと自力でやろうと思っていたのですが、なかなかそうも行きませんでしたヨ. 50の手習いってヤツですからねェ…ナサケない…
でも、やっぱりカンドウしています.なんでもこうやって、知らない世界をこじ開けて 入っていくってのは楽しい事ですネ.
“勉強する“って、人生最大最強の道楽なのかも.
これっ放しにしないでちょくちょく頑張って更新して行こうと思っています.
時々覗いてみてくださいね.

2001/05/18

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 他人は自分の鏡だと… 2001/05/20

他人は自分の鏡だというけれど
向かい合っている人には自分が映っているだけなのだと言うけれど…

優しい気持ちを向けたくなる相手、意地悪な気持ちを向けてしまうしかない相手、いったい何なんでしょう?
優しくあるか、無関係でいるか、せめてそのどちらかでありたいと思うのですがそうも行かない時もある…

哀しいですよね、意地悪な自分を見つけるってのは.
一体私の何が相手に映って、こんなになっちゃったのか?と、私の何処が悪かったのか、と、悩んじゃいます.
それでもやはり、優しくありたいと思うのだけれど…

それがどうしても出来ない時は、せめて無関係になっちゃうしかないのですよねェ.
意地悪な自分の “貧しさ” は、見たくない、それには耐えられない、と思ってしまう.

“愛情” ってのは、恐ろしいものだと思うのです.“友情” も含めてのことなのですけど、ともすれば容易に “憎悪” に変わり得る恐ろしさを秘めている.
無限の優しさに広がるか、憎悪に転ずるか、まるで狭い塀の上を歩いているような所があってさてどちらの側に転げこんでしまうのか?

だから、素直でありたい、と、全く飾らずにありたい、と.それが優しさの入り口だと思っているのですけれど.
私が素直でありつづければ、きっと対する相手も素直であってくれるのではないか、と.
時間をかけて築いたものが “憎悪” なんて、哀しすぎるじゃありませんか.

だから、時にはじっと息を潜めて他人に映っている “自分” を見詰める事も必要なのだと思うのです.ちょっと怖いし苦しいですけどね.
今、私はちょっと苦しい時、です.

2001/05/20

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 忠吾のこと・その後  2001/05/20

“忠吾のこと” に関して、いろんな方からメールをいただきました.
もちろん皆さん親しい友人ばかりで、一昨年、私が主人を失った事、その前後のいきさつなどをご存知の方ばかりですけど.

2年近く経ったこの頃になってこういうことを書き始めた、と言うのは、 多分それなりに私が落ち着いてきた、と言うこともあるのでしょうが、 いろんな意味で、私が “心の中に、ちゃんと主人のお墓をたてて、もう終りにしよう” と思い始めている所為なのでしょう.
気持ちの中にちゃんとお墓を立てないと、私自身、次の身動きが取れなくなっちゃう、と.

普段、平穏な時に何のカンのと言ってても、きっと夫婦ってこういう場合、否応なくそこまで付き合っちゃうものなのかもしれません.ちょっと不思議な気もします.

あーだった、こーだった、と、人に話すのは恥ずかしいし、 いえ、話す事が恥ずかしいのではなくて、話しているうちに感情的になってくるかもしれない自分が恥ずかしいワケで、ましてや悲劇のヒロイン風、なんて真っ平.

その点、文章にすると、感情的なものを排して、自分の中に幾ばくかの客観性を構築できるのではないかと、きちんと分析して位置付けられるのではないか、と期待しているのです.
それに、そんな話はカンベンしてよね、と言う方は読むのを止めちゃえばいいだけですしね.
面と向かって話せば、聞く事を強要することになる.誰だって、聞きたかァありませんよ、そんな暗い話!

でも、内に秘めてるだけだと、やっぱりそれに足をすくわれて、ずっと引きずっていくかもしれないような気がするのです.まるで自分の尻尾を追いかけて回り続ける子犬みたいに、延々と.
だからきちんと書いて、そのことで、死者は死者の世界に、生者は生者の世界に、ちゃんと分離しよう、と.

生者には、また明日、“昇る太陽” が待ってるんですから.
やっぱり、状況はどうあれ、生きてる間は、日々、“青い空と昇る太陽” を見上げて暮らしたいじゃありませんか!

2001/05/21

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 ハンセン氏病  2001/05/25

先日、政府が、ハンセン氏病訴訟の熊本地裁判決に対しての控訴を断念する、との声明を出しましたね.

私が子供のころ、ハンセン氏病は “ライ病” と呼ばれていて、なにやら得体の知れない不気味な印象だけを強烈に抱いた事を覚えています. 子供には恐ろしいと思う以上の知識は、何処を探しても容易には持ち得なかったのでしょう.
でも、考えればそのころは既に、実態はわかっていて、本当はそれほど恐れる必要は無かったわけで…以来40年間.

医者をしていた父が、いつ、何の時だったかは覚えていませんけれど、 「いつまでこうしておく気だ?」  と吐き捨てるように言ったその瞬間の事が、妙に印象に刻まれています.

失われた40年間のことを思うと、これはもう、気が遠くなるような歳月で、二十歳の人は六十歳になってる.その間、いわれのない偏見から、隔離され、断種され、結婚も許されず、親の死に目に会うことすらも拒否される…どれほどの思いを積み重ねて暮らしたのだろうと思うと、涙が出てしまいます.

内面は、本来、外面とは何のかかわりも無いはずなのに、やはり “異形” であるが故に、私たちの側は、排除することで “存在しないもの” として、目の当たりに見ずに済ませてしまう.そうやって片隅に追いやられた人々の40年間の積み重なった思いとは、一体…

「見えないこと」 と、 「存在しない事」 とは、全く別な事なのだ、と.それと同時に 「異形であること」 は、内面の存在の在り方とは何の関わりも無いものなのだということを、やはり深く心に留めておかなければ不可ないと、しみじみ思いました.

それにしても、最初の政府対応の案としての、“控訴してから和解”.エイズ訴訟、その他への波及を恐れたのでしょうけれど、“控訴してから和解” では、 “人間性の回復に結びつかない” と言う彼等の思いは、40年間の長きを思えば、無理からぬこと.和解金を払えばこと足れりってものじゃない筈ですもの.そこまで思いの及ばないことは哀しいこと、政治とは、非人間的な側面を持たざるを得ないものなのかもしれない、と.
マスコミも今度の “控訴断念“ を評価しているようですが、本来としては、全く当たり前の事なんでしょうに、ネ.
でも、当たり前の事が当たり前に出来ないというのは、私たちの日常でもよくあることです.自分を振り返れば非難ばかりしてはいられません.
当たり前のことをきちんと当たり前として行動しつつ、日々を自然に暮らせるような自分でありたいものと、このたびはつくづく思いました.

2001/05/25

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 制作日誌のページ  2001/05/30

作品制作日誌のページを作ることにしました.

皆さんは、作家というものは自信に満ちて自分の作品を作っているような気がしていらっしゃるのではありませんか?
よく、ウチの生徒さんに、そんな風な事を言われることがあります.
ところが決してそんなものではありません.

何にもない、形すらない所から、一つのものを作り出す、たった一つを選ぶのですから、いつも本当は “これではない何か” があるのではないか、と、不安でいっぱい!

他人の作品のことは、結構見えるのですが、自分のものになると全くその確信はないわけで. “これは単なる私の思い入れでしかないのではないか?” と、常に疑っている.
かといって、 “これしかない、これでいいのだ!” と、自信に満ちた気分の日もある.
そんな風に “躁” と “鬱” との間を忙しく彷徨ってしまうのです.実際の所、誰に相談できるものでもない孤独な作業に、どっぷりと浸かっての何ヶ月間を過ごさなければならないのですから.

今年もまたその季節がやってきました.
で、その制作の過程を記録しておけば、ちょっとは違う見方が出来るのではないか?と思ったのです.
ちょっとは客観的に自分の作品を眺められるのではないのか、と.

多分それも儚い幻想なのでしょうけれど、気分転換にはなるかも…
と、言う全くの自分宛てのページなのですが、時々刻々の製作過程を覗いてみたいと思ってくださる方は  「作品制作日誌」 のページ、ご覧になってください.

2001/05/30

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