2001・6月
6月1日から、ADSLになりました.
いわゆるブロードバンドというヤツです.
オバサンにしては、随分、文化的(?)でしょ? (^^ゞ
これで、常時接続が出来て、料金の心配がなくなりました!
ホッとしています.
ちょっと接続の設定には苦労しちゃいましたけど…
午後から3時間くらいかかっちゃいました.
やっぱり、パソコンを始めてからまだ二年経っていませんから
本当に基礎的なことが何にも分かっていませんもの.
いろいろ、恥と大汗をかきながら、です.
でも、サポートセンターにTELして、何とかカンとかサポートを受けられるようになっただけでも私にとっては大進歩!
サポートセンターの人、とても親切に応対してくださいました!ありがとう!!
さて、これからちょっとのびのびと、ネットサーフィンも楽しめます.
HPも暇を見て更新していくつもり.
本日は “釉子會Web展” のページを追加しました.
釉子會会員の作品が載っています.これも見てくださいね!!
2001/06/03
昨日の朝早くに、私の長年の友人からTELがありました.
「ねェ、ヒデコ、昨日は、あなたたち、何かの記念日だった?」
彼女、私の亡くなった主人の夢を見たと言うのです.
夢の中で、「家に帰りたい…」と、彼は泣いたのだそうです.
「ヒデコでないと夜も日も明けないような人だったから…」と、彼女は言いました.
そうかもしれません.でも、私、人の夢の中の話でありながらも、ちょっとアタマに来ちゃいました.
今度、彼に会ったら伝えておいて.ヒデコは、もう否応なしに ”あなたのいない世界
” を歩き始めているって.
だから、あなたももう諦めて “ヒデコのいない世界” を楽しみなさいって、
そう伝えて頂戴.
あなたが生きている間の20年間、浮気心ひとつ起こさずにあなたを愛して
きました.だから、あなたがいなくなってしまってから、もう存在しないあなたに対
して “疚しさ” なんか感じたくない.
好きなようにちゃんと仕事もしたいし、作品も作りたい、ひとを深く愛したりもしたい.
尼僧のように生きたりはしたくもない、と思っています、と.
もう、きれいにあきらめて、私を解き放してください、と.
ちょっと私、何の根拠もない人の夢に、奇妙な事に、感情的になっていますね.
でも、それが本心です.
あなたの事は、忘れようもないけれど、あなたをちゃんと愛してきた事は紛
れの無い事実だけど、それと、これからの私の生き様は、
全く次元の違う事のはずです.
私は “あなたのいない世界” を、生き生きと生き抜きたいのです.
あなたに対して、微塵も “疚しさ” を覚えたりはしたくないのです.
わかってくださいますか?
来週の土曜日は、三回忌法要をいたします.
その時、お寺で、私はちゃんとあなたにそう告げるつもりです.
わかってくださいますよね?
2000/6/9
この頃、身のまわりのことや、社会的な事件に接して、ちょっと考えちゃいました.
最近、すごく身勝手な人って増えていると思いません?
典型的な例が、池田小・児童殺傷事件を起こした宅間守.
丁度、私が遅い朝ご飯を食べている時間はワイドショーの時間帯ですので、ぼやーっと
T.V を見ていると、まぁ、根掘り葉掘り報道されているのですが、どれもこれも
その身勝手さには驚くばかり.
でも、彼だけではなく、子供もオトナも、あれに近い身勝手さを持っている人が
最近は多いような気がします.
自分のことばかり、押し通す.それは通って当たり前と思っているが如くに.
で、通らないとなると、ひがむ、すねる、人の所為にする、果ては暴れる、キレる.
自分を振り返ることを絶対にしようとしない.
本当に迷惑しごくな存在…でも、それって、見方を変えるとちょっと可哀相かも、っておもっちゃう.
だって、それを目の当たりにしたとき、ふと、この人には、人生の初めに本当に愛してくれる人が
いなかったのではないか、と、愛って何なのかを知らずに来てしまったのではないか、と思っちゃうから.
今、「愛」 って、なんだか、際限もなく 「モノ」 や 「自由」 と称するものを与えつづける事と
同義語みたいに思われている節があるような気がします.
で、子供の方は、 「モノ」 や 「自由」 が有り余るほどあることを 「幸せ」 と思っている…
でも、それって際限がない.これが手に入れば、次はあれ.身の丈に合わない欲望ばかりが膨れ上がってしまう.
親の愛は、子供の自由を認める事だ、って言う人もいます.でも、そうなんでしょうか?
過激な言い方をすると、子供って、まだ、人間じゃない、人間になる過程にあるだけ.
人間という存在になれるかなれないかの瀬戸際にいる存在だ、と思うわけです.
で、それをちゃんと人間にするのは、教育なのではないか、と.
この場合の教育というのは学校教育よりもむしろ、もっと小さい時の日々の暮らしの中で親や、周りの大人たちの与える教育なんですけど.
ものを欲しがって泣き喚く子供.与えちゃう方が確かにラクなんですよね.
子供にいい親と思われたくて、与えちゃう.でも、本当はその瞬間に子供は本当の愛を失っちゃうのではないか、と.
どこか、その瞬間に、子供は “面倒くさがって” 与えられた、ということを敏感に察知するのではないか、親が自分の機嫌を取ってる、と確信してしまうのではないか、と.
私は、 「言う事を聞いてやらない」 愛ってのがあると思うのです.
「子供の前に立ちはだかる愛」 って、なければいけないと思うのです.
それがあってはじめて子供は 「自由」 を勝ち取るために、物事を考えるようになる.
親を説得して 「自由」 を勝ち取るための自分のアイデンティティーを築き始める.
際限もなく子供の言い分を通すってことは、本当の所は無限のかなたへ飛び立つための子供の翼をもぎ取っている事なんじゃないかと.
自分のいうことが通らなくて、キレたりしちゃうってのは、
やっぱり、彼らなりに、切実に、愛してほしいからじゃないのかなぁ?
只、その愛の形が見えてない. “言う事聞いてくれる事” が “愛” だって思ってるから
“言う事を聞いてやらない愛” の形もあるんだってことが分からない.
で、言う事を聞いてもらえなかったり、立ちはだかられたりすると “愛されてない” と思い込んで、いじけて、切れる.
“愛されてる” と確信できないから、暴れる…迷惑極まりないけど
どっか、可哀相かも…って思っちゃう.
“言う事を聞いてくれない愛” の前で、それでもやっぱり “愛されてる” と
確信できることって、積み重なった経験からじゃないの?
そして、オトナは子供にそういう形の愛を日々示しつづけて、経験させてやらなければいけないのではないの?
そんな気がするけどなァ・・・・
で、彼、宅間守は、そういう愛の形もあるんだということを全く知ることなしに、
あんなにたくさん殺したのだから、当然のこと、死刑になっちゃうのでしょう?
自業自得ではあるのですが、どこか、一抹、可哀相でもある、と思うのです.
どこかで、本当に愛してくれる人にめぐり合っていれば、 “人間になりそこなっちゃう” 事もなかったのではないか、と.そして、あれほど多くの命が失われる事も、また、なかったのではないか、と.
やはり、空気を吸うように自然に、厳しさに満ちた愛で、愛したり、愛されたりしていないと
本当は、人って生きては行けないのではないか、と…
2000/6/15
16日に主人の三回忌を済ませました.
谷川俊太郎の詩ではないけれど、
“さよならよりも きっぱりと
じゃあね、じゃあね” です.
三回忌まではなかなか落ち着かないものと、よく人は言いますけれど
三回忌って、本当に心の区切りなのですね.
PTSD (心的外傷後ストレス障害) って、時々聞く言葉ですけど
やはり、しばらくはこれに近い事が続きました.
子供のいない夫婦だった私たちは、日曜日のたびに良く、ハイキングに出かけたり日帰り温泉に行ったりしていました.
二人で運転を交代しながら県内は勿論、近県まで足を伸ばして.
だから、独りになって、たまに何処かへ出かけようと思っても、
何処もかしこも、主人との何がしかの思い出に彩られていて
それから続いて、病院での出来事が、突然に生々しく頭の中に甦ってしまう.
私はもう何処へも出かけられなくなってしまったのではないか…と.
季節の果物の並ぶスーパーの店先で、あァ、主人は桃が大好きだった、とか、ふと考えると足が動かなくなってしまう.
で、買ってきても、仏壇に上げて、眺めて、自分では食べられない.どこかに罪悪感がある…生き残った事…美味しいものを口にできること…
これがよく言う “フラッシュバック” と言うヤツなんだろうな、などと客観的に考えてみるのですが、どうにもならない.理性で乗り越えられるものじゃない.
それが、だんだん薄紙をはぐように薄らいでくるのです.
時の経過が癒してくれたと言うこともあるのかもしれませんが、それよりも、多分、このパソコンに救われたのかもしれませんネ.
熱中する事が、遠まわしに私の中で、きっぱりと諦めをつけることを可能にしてくれた.で、全く別な “生き様” の可能性を開いてくれた、と、そんな気がしています.
今回の三回忌法要では、主人の大好きだった桃や葡萄をお供えしました.主人の大好きだったトルコ桔梗も、本堂にもお墓にも供えてきました.
立ち上るお線香の煙にのって、彼も本当に旅立つのだ、と、気をつけて行ってくださいね、と.
“じゃあね!”と、心の中で、きっぱり呟く事が出来ました.本当にサッパリしちゃいました.
今日も良いお天気です.梅雨の晴れ間.布団を干したり洗濯をしたり、それから仕事の続きです.
晴れやかな優しい作品が生まれますように…
さて、朝ご飯の後に、残っている桃でも食べましょうか.
( 谷川俊太郎の 「じゃあね」 読んでみたかったら、アクセスしてみてください. )
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/7544/December2000.htm
2000/6/17
六月は、毎年、とても忙しい季節です.
勿論、秋の「日本伝統工芸展」の出品作品の山場であるということもあるのですが、食べ物の事でも忙しい.
出盛りのスモモでジャムを作る.梅が出ますから、梅酒、梅ジュース、梅ジャム、そして梅干の仕込み.
どういうわけか、この頃になると、春にはあんなに美味しく感じていた苺ジャムが、美味しいと思わなくなります.もっと酸味の強いスモモや梅のジャムの方がずっとずっと美味しくなる.
多分、この過ごしにくい季節の体の疲れが酸味を要求するのでしょうね.
で、作品作りの合間に、そんなこんなで毎日てんてこ舞い!
独り暮らしですから、それほどたくさん消費するのものでもないので、結局あちこちに押し付けまくっちゃうのですが.
でも、これは季節の行事のようなもので、あぁ、もうすぐ夏だ、などと思いながら季節物をいじっているのは、それなり楽しい事です.
昔に比べると随分簡略になっちゃいましたけど、ホンの少しでもそういったことは残しておきたいような気がしています.
大げさに言うと、その季節を無事に迎えられた事への感謝の気持ちもあるわけで…
さて、今夜は、これから梅干の仕込です.
午後からアク抜きのために水につけてあった梅のヘタを、竹串でつつき取ります.
で、目方を量って、多分8kgくらいかな? で、今度は塩の分量を量る.
漬物桶、落し蓋、重し、何から何まで、梅酒をつけるときに取り分けてあった焼酎で消毒.
多分2時間くらいで漬け終わるはずです.
美味しい梅干が漬かりますように!
仕込んでから、しばらくは様子見です.カビがこないように気をつけなくっちゃ.
で、梅ジュースも同様ですから、毎日、「おーい、ダイジョウブかい? ゲンキしてるかい?」って、覗いてやる.
大変ですけど、それもまた、喜びの一つかも。
来月は赤紫蘇が出まわりますから、赤紫蘇を入れて、それから土用干し.
しばらくは梅のお守りが続きます.
2000/6/22
若い頃、ピアノ曲が大好きでした.
もちろん30年以上も前の、LP全盛の時代です.
特に好きだったのがベートーベンのピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」 “Appassionata” です.
その中でも、スヴィアトスラフ・リヒテルの演奏したものがとても好きでした.
と、いうよりも、“Appasionata”に関しては、私にはリヒテルの演奏しかなかったと言ってもいい位.
同じ曲でも、ピアニストが違うと全く別な曲になってしまう…
甘ったるいテクニックだけの 「熱情」 なんて、くそくらえ!!です.
その頃の私は、ショパンなら、ディヌ・リッパティか、アルフレッド・コルトー、
シューベルトはヴィルヘルム・ケンプ、バッハは、絶対にグレン・グールドなどと、勝手にやかましい事をほざいていたのですが・・・
けれど、何時の間にか日常のあわただしさにまぎれて、あれほど好きだったピアノ曲も聴かなくなってしまって.
最近、やっとまた、感動を持って聴きはじめています.
で、この間、CDを買いました.
「悲愴」・「熱情」・「テンペスト」それとシューマンの幻想曲 ハ長調 作品17
勿論、演奏はリヒテルです.
リヒテルの演奏には、「ギリシャ悲劇的な要素」が多分にあると思うのです.
激しいけれど決して感情的ではない.美しいカンタービレを奏でるけれど、決して甘くはない.
不可避な宿命に毅然と立ち向かうような…激しくしかし論理的な、屹立した禁欲的 “孤独感” が漂ってくる.
どんな状況に立ち至っても、どれほど孤独感にさいなまれても
やはり、毅然と背筋を伸ばしていたい.全てを激しくしかし論理的に、自分の中に位置付けたい、と
そんな願望が、私をリヒテルに向かわせるのかもしれません.
今、テンペストを聞いています.私の中の嵐に捧げるために.
2000/6/26
今日の午後、作品の釉薬差しが完了しました.
今晩焼成すれば、あとは研磨です.
釉薬を差す時だけは、一息にやってしまわなくてはなりません.
途中で止めると、しみが出来たりするからです.
ですから、このときばかりは本当に体力仕事.
食事時間もままならない.ゆっくり味わって、なんて食べてはいられません.朝にこしらえたお結びを、作品を横目でにらみつつほおばるのが関の山.
夕飯は、とにかく仕事の目途がついてから.で、夜中の食事、とか.ですから、この工程が終わると本当にホッとします.
それに、これが終わってしまえば、もう泣いても笑っても、作品は変えられませんもの.後は度胸を決めて仕上げるのみ!
で、例年の如く、ホッとして、ゆっくりお茶でも飲みながら…
こうなっちゃうと、もう後は作品をしげしげ見ないようにします.
しげしげ眺めた所で、気に入らない所しか目に入りませんもの.気に入らない所をあげつらっていると、もう仕上げる気も失せてしまう.後は、仕上げに邁進、です.
それから、梅を漬け込んだ甕を覗いてみたら、白梅酢が綺麗に上がっていました.
もう、梅はすっかり白梅酢の中に漬かっています.
あぁ、こっちも一段落です! 6日間で梅酢が上がったのだから、上々! これで、もうカビの心配からもちょっとは開放されます.
なんだか知らないけど、何もかも一段落の日でした.
チョッとうれしい…(^.^)
2000/6/28
昨日から、作品を研磨し始めています.
研磨機で、となればいいのですが、床に座布団を敷いて、その前に水を張った洗い桶をおいて、セコセコ手研ぎです.
かつては、サンダーにペーパーを貼ったものを使ってみたり、ルーターを使ってみたり、いろいろ省力化も量ってみたりしたのですが、結局は手研ぎに落ち着いちゃいました.
機械は力がありすぎる.研げれば良い、というわけじゃなくって、最終的に形状を決める大切な過程ですから、常に形を意識していないといけない.だから、力がありすぎては困るということに気付いたのです.
滑らかなカーブを形作っているか、とか、そういうことって、見るよりも触ってみるのが一番.掌の感触ほど微妙な形のブレを探し出してくれるものはありません.
そのためには、ゆっくりゆっくり時間をかけて、掌の感触で確かめながら研磨していくのが何よりみたい.
でも、最近は、ダイアモンド砥石が出来て、ホントに作業が楽になりました.
昔は金剛砂砥石や、天然砥石でしたから、砥石の中に、ゴミが入っている.そのゴミが大きなキズをこしらえてしまう.で、その、ゴミの作ったキズを取るために、前の段階へ戻らなくてはならない…何度、行きつ戻りつを繰り返した事か.そうしているうちに、砥石のさわりでゴミの存在ががわかるようになる.
“あっ” と思って、砥石を調べて、鏨でゴミを掘り取って…
それから比べれば、ダイアモンド砥石には、その心配が全くないから、どんどん研磨ができる.気を使う必要がない・・・
まるで、ダイアモンド砥石屋の手先みたいな発言ですけど・・・(^^ゞ
研磨を始めてから今日で丸二日.一日5〜6時間も研磨していると腰は痛くなるし、手の筋は張って来ちゃうしで、タイヘンなんですけれど、でも、その分、嫌な事はみんな消えちゃう!
大抵の事は “どーでもいいや” って思えちゃう.これ、不思議な事です.
悩んでいる事があったとしても、そんなことはホントに些細な事みたいな気がしてくる.で、時々掌で作品全体を撫で回して、形のブレを探る.ここのカーブはチョッと違う、とか、そういうことを私の掌が私に教えてくれる.
なんだか、掌を通して、作品と対話しているような気にすら、なってくる.チョッと儀式みたいで.
そういう時って、私は作る事がすきなんだな、と.
こうしていられたら、ひょっとして、後は何にもいらないんじゃないか、なんて思ったりするくらい.
2000/6/30