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2001・7月

 言葉  2001/07/06

パソコンを始めてから、随分文章を書く機会が増えました.
ワードを使ってテキストを書いたり、メールのやり取り、HPでの「ひとりごと」の原稿を書いたり.
学生時代は文芸部に所属していましたので、下手な小説やエッセイ、詩などを書き散らかしていたのですが、それ以来のこと、です.

で、つたない文章を書いていると、友人たちがそれに対して感想を送ってくれたりします. その感想を読みながら、こんな風に解釈したんだ、とか、あぁ、そういう感想もわかるなァなどと、いろんなことを考えます.

で、最近は、改めて、「言葉」というものは、「抽象」なんだ、としみじみ感じているのです.思いも寄らない受け取り方をされていることもあるし、かといってその受け取り方も、もっともだな、と思ったり、その感想の中に、新たな自分を再発見したり…

「言葉」は、「抽象」なのだから、一つの言葉を媒介にして、それぞれがそれぞれの内面に応じた解釈をするのは当たり前の事なのかもしれません.
ひとりひとりの中に、書かれた「言葉」と「言葉」の間に閉じ込められたもの、「行」と「行」の間に込められたもの、つまり「書かれなかった言葉」が作り出す世界があるのです.
その世界が、その文を書いた私自身とすれ違ってしまう事もあるし、思いがけない近しさで、ピッタリ重なったと思う瞬間もある.

昔、文章を書いていたときと違って、Webの世界は反応が早いから、そんなことすらありありと見えてくる. 本当に面白くもあり、恐ろしくもある経験です.

私も、他人の書いた文章を読むときは、字面を読むよりも、「書かれなかった言葉」や、行間を読もうとしてしまう.内面に閉じ込められたものを探りとろうとしてしまう.で、作者の考えもしなかったような受け止め方をしている事もあるのだろうと思います.

誰かによって書かれた一つの「言葉」を媒体にして、「書かれなかった言葉」の中に自分の世界を紡ぎだしている、と、そんなカンジです.

ですから、正確に「伝える」ということのためには、相当な技術が必要なのだろうと思ったりしています.
小説や、エッセイ、詩などは、別に構わない、様々な受け取りようがあったほうがかえって面白いと言えるのかもしれませんけど、人間関係の中で飛び交う言葉はそういうわけには行きませんよね.
正確に、過不足なく伝える事が必要となる事も多々あるわけで、そこを間違うと誤解がおこったり、無用に相手を傷つけてしまう事もある…
改めて、言葉を使うことの大切さとむずかしさを考えています.
大切に技術と意とを尽くして使わなければならないものとしての「言葉」を、本当はもっとずっと大切にすべきなのだろうと.

2000/7/6

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 代理母  2001/07/08

以前にも、ニュースで大きく取り上げられましたけど、夕方の報道特集で “代理母” の特集がありました.
で、それを聞いているうちに、なんだか怖くなってしまいました.
これって、神の領域の話じゃないかって思ったのです.
子供をほしいという思いがどれほど強くても、本当は人間が足を踏み入れるべき領域ではないのではないか、と.

私には、子供がいません.
これは、私が子供のころから、膠原病という病気を持っていて ( 今も、まだかなり親しく付き合っている病気です. ) 今なら、そんなこともないのでしょうが、私が出産適齢期だった頃には、出産を望んだ場合、母子共に全く保証できませんと医師に宣告されたからです.
まァ、多分そうなのではないかと結婚前から予測もしていましたし、主人もそのことは承知でしたから、あぁ、そうか、子供を持たない事が私たちに与えられた生き方なのだ、と、それはそれで仕方がないことだろう、と、その時私たちはわりと素直にそのことを受け入れました.
ないものねだりをしても仕方がない、それを前提に夫婦の関わりを前向きに築いていくしかないじゃない、と.

それが今の時代であっても、私たちは決して “代理母を、” とは思わなかったと思っています.

私はどちらかというと、運命論者なのかもしれません.それも、肯定的運命論者.
子供ができないということは、子供を持たない生活を、 “肯定的に” 生きるという課題を与えられただけの事.そう解釈しました.ならば、その課題を生き抜こう、と.
子供を持った人には、持った人でないと解らない喜びがある.それと同じように、持たない人には持たない人でないと解らない喜びがあるはずだ、と.

代理母は、子供を出産するだけと、そう簡単に割り切れるものではないと思うのです.
私は出産を経験した事がありませんから、本当の所はわかりようもないのですが、10ヶ月以上、おなかの中で子供を育てて、動いた、とか、おなかを蹴飛ばしている、とか、身体的にいろいろな経験を積み重ねて、出産して、「はい、どうぞ、産んだのは私ですが、あなたの子供です.」って、出来るものとも思えない…

最初から、そのつもりだったからと言って、感情というものは決して一筋縄では行かないもの、その時になって、どういう感情が芽生えるかは誰にも、その当人にすらもわからない危さを秘めているものではないでしょうか.

様々な人の様々な思いが複雑に絡み合って、その上、法律的な問題が絡んで、どこかで誰かが限りなく不幸になってしまう可能性が多分にあるのではないか、と思ったのです.特にアメリカのように、第三者が出産を請け負うなんて…
そうまでして、自分たちの子供を持ちたいと思うのは、本当は許されるべき事ではないのではないか、と思うのです.

子供が出来ない.→ 子供をとても欲しがっているのに.→ 可哀相.→ 誰かが代わりに.→ みんな、幸せ.
と、こういう図式で割り切る事が果たして可能な事なのか?
そういう形で、割り切れて、果たして決して “余り” がでないのか?
子供を産むことを、子供が与えられる事を、果たしてここまで人為的にとりおこなっていいものか?
自分の “血” に、ここまでこだわる事が、ちょっと恐ろしくすら思えます.養子を育てるのとは、根本的に意味が違うのですから.
私は、このことは、神の領分のことであり、人である私たちが手を出すべきことではないような気がしてなりません.

2000/7/8

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 月下美人  2001/07/10

月下美人
今日は朝から東京でした.

「展覧会情報」にのせてあるヴィトレマイユ展へ行ってきました.
長谷川淑子氏のお教室展は、遊び心が一杯で、いつも、とても楽しい!!
ニコニコしちゃいます.

その後、食事をして、ワインを飲んでおしゃべりして、最終の新幹線で帰ってきて、車を降りたら、辺り一面いい香りが漂っていました.
あ、咲いたな! そういえば、今朝、出掛けに、今晩、咲くかな? と思うくらい蕾が膨らんでいたっけ…
で、早速デジカメで写してみました.

毎年、3回くらい咲くのです.今年はこれで二回目.多分9月に、又咲くでしょう.
主人が健在の頃、月下美人が咲くと、ご近所の方をお招きしては、お茶を飲みながら花見をしました.
で、ご近所の親しくしている方に 「ご主人の命日を“月下美人忌”と、勝手に名付けたのよ.」 と言われています.
主人の顔を思い浮かべると、なんだか “月下美人忌” なんて、ちっともそぐわなくて、気恥ずかしくなってしまいますけれど…

一時に7〜8輪も咲くと、ご近所中に、その香りが漂って、咲いたのが解るのだそうです.
今年は3輪でしたから、それほど強烈には薫っていませんが.
でも、顔を近づけて匂いをかぐとくらくらする位です.

花そのものはいかにも美しいのですが、葉から直接、垂れ下がって、首をもたげて咲いている様は、見ようによってはちょっと不気味です.やはり、熱帯の花、ですね.
日本の花と比べると、強烈な自己主張を感じます.
その辺りのちょっとした違和感が、又面白いのですけれど.

2000/7/10

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 赤紫蘇  2001/07/12

仕事も終わったし、そろそろ梅に赤紫蘇を入れなくっちゃと思って、近所の畑仕事をしているオジサンに赤紫蘇を頼んだのが昨日の事.

梅漬けが8kg分だから、お店で売ってる5束分もあれば足りるかな?1.000円分も頼んでおけば、多分余るくらいだろうし、余ったら紫蘇ジュースにでもすればいいか…で、 「オジサン、1.000円分くらい分けていただけるかしら?」 と.

今朝7:30、明日はお盆の入りだし、午前中にお寺へ行ってこようと思って、朝ご飯を食べていたら、玄関のチャイムが鳴って、こんなに早く、誰だろう?
玄関を開けると、オジサンが立ってる。
「紫蘇、持って来たよ.」 と、大きな、新聞紙で包んだ束を持ってる.で、お金を払って… 台所で束を解くと…(*.*;)…

こ、こ、これって…30束分は悠に超えてる! どーするの、こんなに???
で、慌てて電話にしがみついて、やはり梅をつけているご近所の奥さんのところへ… 「ねェ、赤紫蘇、もらってくださらない? とんでもない分量なのよ! これからお届けに伺うから.」
で、お届けして、出来たばかりの【自家製・ブルーベリージャム】のお裾分けに預かって… なんだかすごくトクした気分.まだ、ほんのり暖かくて、ちょっとした “わらしべ長者“ だわ!! (^0^)

で、帰ってから、赤紫蘇と格闘.葉を枝からはずして水洗い.無農薬だから虫がついてたりして…で、今度はアク抜きのための塩もみ、これは二回しないと.本数で言えば60本分くらいかな?
で、それを白梅酢に付けて色だしして、全部終わったらもうお昼.

お寺さんは、明日の午前中にしよう…(^^ゞ
だって、まだこれから紫蘇ジュースの仕込みが…クエン酸も買ってこないといけないし.

紫蘇だけは、畑から抜いて、漬け込むまでの時間が短ければ短いほど色が良く上がるのです。だから、紫蘇が届くともう戦争.何もかにも放り出して塩もみにかかる.
いい色に漬かりますように! 当てにしていてくれる大切な友人たちの顔を思い浮かべながら…

さーて、ボツボツお昼といたしましょうか.すっかりお腹がすいちゃいました!

2000/7/12

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 痩せっぽち  2001/07/18

朝っぱらから冷蔵庫の野菜室の掃除を兼ねてミートソースを作っています.

一人暮らしですから何でも余っちゃう.
冬場はまだいいのですがこう暑いと冷蔵庫の中でも、野菜はホントにもたない.
で、あまりそうな人参、セロリ、ピーマン、ちょっと生で食べるには熟しすぎたトマト、みんな刻んでいれちゃう.
飲み残しの赤ワインも、椎茸だって軸まで刻んでいれちゃう.
それから、庭から取ってきた月桂樹の葉っぱを入れて、後は煮込むだけ.
出来上がったら小分けにして冷凍庫へ.

こう暑いと料理するのも嫌になっちゃう日があって、そういうときに一人暮らしはうっかりするとお腹がすいていてもロクなものを食べずにおしまいにしちゃうことがあるのです.食べさせなくてはならない相手がいるとイヤイヤでもちゃんとするのに、ネ.自分のことはほったらかし.
ですからそういう日のための非常食料のひとつです.
何しろ体重が38kgなんですから、食欲が落ちるとヤバいわけで、というよりもすぐにガス欠になっちゃうのです.朝食べた分で昼まで動く、昼食べた分で夜まで、と、まるで自転車操業なんですから.(^^ゞ

でも、三十代からヨーガをやっていましたし、オウム事件のあおりでヨーガ教室が閉鎖になってからは太極拳に鞍替えして、以来もう6年くらい続けていますので、それなりにもってはいるのですが.
何しろ体脂肪率が15%くらい.仕事柄けっこう上半身も筋肉質で( 七宝作家なんて、肉体労働者なんですから!) ワインのコルクも片手で抜いちゃう! 友人たちに、小学校の理科室の人体の筋肉図みたい、骨と筋肉と皮だけって笑われてる…で、“少年のよう” って言って!って言うのですが、顔を見たら無理だよぉって.そりゃそーだ…
自分でも時々思いますよ、もう、ボディ・ビルしか生き延びる道はないのか?って.

身長: 157.5 B: 65-A size (恥ずかしくってcmじゃ言えない!) W: 55 H: 81 という情けないサイズですから、着るものに困る.年齢相応の服は中で体が泳いじゃう.ボトムはちょっと引っ張ると脱げちゃう.ですから恥ずかしいけど若いコの行くブティックへ行って買ってくるしかない…安くて良いですけど.ボトムはGパン 26インチ これすらユル目!(^^ゞ

子供のころからのお転婆がたたって、ずっと痩せっぽちで、でも、若い頃は40超えたら中年太りでコロコロの可愛いオバサンになる! その頃から太れば顔のシワも伸びる! 太れば和服姿も綺麗! なんて、それって理想だったのですが、ところがドッコイ、太るどころか最近は和服もほとんど着てません.相変わらずのGパンとTシャツ.あー、あと5kg太りたい!! そんなことを考えながら、ミートソースを作っています.

作りながら、一人暮らしの友人たちを思い浮かべて、みんなちゃんと食べてる? なんて、心配したりします.大きなお世話、ですけど.
だって、みんなちゃんと太ってるもん! (^.^)
( あ、痩せっぽち、3人いました.ヨシキちゃん、コミサン、けーくん、ちゃんと食べてる? (・・)

2000/7/18

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 夏バージョン  2001/07/21

このところの暑さでちょっと参り気味です.
私のHPも、今年のお正月明けから作り始めたものなので、なんだか冬向きの色調で 何とも、見ていると暑苦しい…(;・・;)
自分でも見たくないって感じで.

で、思い立ってせめて、表紙だけでも “夏バージョン” に変えました.
見てください.どうです、ちょっと涼しそうでしょ?
中味は相変わらずですけど.

この夏は、色々勉強して、JAVAなんかも齧ってみたいと思ってはいるのですがこの暑さじゃァ…脳ミソも発酵してるみたいで.(^^ゞ
本当は、JAVAの成果をホンのちょっとでも生かした表紙にしたいなぁって思っていたのですが、そんなことをいってるとまた冬になっちゃいそうですから、とりあえず涼しげに、というだけの事、ですけれど.

今年の暑さは並じゃありませんネ.パソコンもなんだか調子悪いですよぉ…夏バテ、かなァ? ときどき、CDが聴けなくなっちゃうのです.音が出ない.
で、 「困った時の再起動」 で動き出す.何でしょ?
とにかく、パソコンの前にいるときはCDかけて、ですから、音が出ないと焦っちゃう.
今も、クリフォード・ブラウンを聞きながらなんですけど、季節柄、表からは “盆踊り” の曲やら太鼓やらが聞こえてきて、ぐっちゃになって、何ともはや…

この暑さも、後二ヶ月は続くのかと思うと、うんざり〜〜ですね. 来週は土用です.そろそろ、梅を干さなくては.梅を干すにはこの天気は丁度良いかもしれませんけどね.
皆さんも、夏バテしないようにご注意くださいね.

2000/7/21

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 ドライ or 尾蹄骨  2001/07/24

お友達の oishix さんからメールをいただきました.

・・・・・・・・・・・
ご連絡はしませんでしたが九鬼師匠のWEBは時々見させてもらって います。九鬼師匠っていままでけっこうドライ?人だと思っていたんですが ご主人のことを描かれた書かれた文章を読んで僕は深く反省しました。
・・・・・・・・・・・

ってのが、その一部なんですけど (無断掲載です.oishix さん、ごめんなさい!)
そっかー、ドライって思われていたのかー…って思いました.
でも、ホントはやっぱりドライなんですよ.反省なんか、しないでネ!! (^.^)

だってドライに割り切るための過程ってのは誰しもあるわけで、その過程はかなりウェットでぐちゃぐちゃかもしれないけれどそれってのは私の内面の出来事だから、あくまでも過程にすぎなくて、その過程を経て出現した私がドライなら、やっぱり私はドライ、でしょ?
まぁ、「ひとりごと」 にでてくる私は、その、“過程にある私” の残骸みたいなものなんですよぉ!

それにしても、なんで “師匠” なの?? “お師匠さん” なら、踊りの、或いは小唄の、なんて、そりゃちょっと色っぽいカンジ(?)でスッゴクいいけど、師匠の上につく文字が “九鬼” じゃァねェ…こりゃいったい何でやんしょ? (・・)

考えてみたら、私は今まで、親しい友人から、ニックネームや、英子という名前で呼ばれたことはほとんどありません.みんな 「クキサン」 です.
唯一、大学時代に呼ばれていたのが 「おにこちゃん」 最近は 「クキのねーさん」 です.
これって、やっぱり “ドライ“ だという印象を与えているからなのかもしれないなァって思いました.
別に何にも違和感はないんですけど、ネ.居心地は良いですから.

やっぱり人間だから多分にウエットな部分もあるけど、恥ずかしいから見せられない. (その過程にある時の私って、ひょっとすると人一倍…??)
だからこそ、私のある種の美意識の問題で、 「忍ぶ恋こそ、恋の本意なれ」 と似たようなもので、見せちまったらおしまいヨ、ってところじゃないですか?
いつもニコニコ、背筋を伸ばして、ご苦労ナシの極楽トンボ、が、モットーなんですから!

で、ちょっと無理してるかも…と思いながらでもそうしていると、それが自然になっちゃう.
人のありようって、面白いものです. “水” に似て、 “器” の形を決めてやるとその形にいずれは添ってしまう.感情なんて、そんなものでしょう? 今の感情には溺れたくないって思うのです.刻々変わるものが感情なんですから、振り回されたって始まらない!
振り回されれば振り回されるほど、ブレーキが効いちゃうわけで、だからドライ!なんです.
せめて、見た目だけでも、 「スッキリ割り切れて、余りがでない」 という印象で通せば、そのうちにホントにそうなれるかもしれない!!
それって、私の願望ですもの.「余り」 なんて、尾蹄骨みたいなもんですからネ.
もっとも、その 「尾蹄骨」 が、きっと 「色気」 ってものの本質なんでしょうから、ワタシにゃ色気がないんだァ… ま、もう色気もクソもないけど…(^^ゞ

2000/7/24

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 「詩・詩作・短歌」のページ、そして内田英夫のこと  2001/07/27

今日、内田英夫の詩を “詩・詩作・短歌”のページにアップしました.
今年のお正月に、九州で、30年来の友人の久美ちゃんとした約束を果たしたわけです.
内田英夫の詩をWebサイトに出そうよ!

30年以上も前の、まだ10代の終りくらいのころ、久美ちゃんと内田英夫、そして私は 大学は三人三様に別々だったのですが文芸部に所属していて、それぞれに親交がありました.
私を “おにこ” と名付けたのは内田英夫でしたし、私たちは彼のことを “モーニン” と呼んでいました.
その頃の多くの文芸部仲間の内で、内田英夫はその才能で異彩を放っていましたし、どこか妙に大人びてもいました.ちょっと複雑な家庭環境にあったからかもしれません.
しかし、まもなく彼は大学を中退して、私たちの前から姿を消しました.

その突然の消え方も、不思議には思えなかった…何か必然的なことのように、私たちは思いました.
それから、彼はしばらく大阪に住んでいました.一、ニ回、大阪で会ったことを覚えています. 大阪にいる時の彼は、確か、コーヒー問屋に勤めていました.そのころ、やはり詩作を続けていたのかどうかはわかりません.

そして、再び突然のように、今度は彼の死が伝えられました.二十歳そこそこだったように記憶しています.コーヒー問屋の社員寮で自殺していた、と.
そのことも、何か、必然的なことのように、私は受け止めました.
お葬式には行きませんでした.彼の遺書があったらしいのですが、それも見たくはありませんでした.
私たちは彼の詩をとても愛していたから、彼の死に顔や遺書などは見たくはなかったのです.

以来、30年余が経って、今年のお正月に、「内田英夫のお葬式をしようよ!」 どちらからともなく、そんな話になりました.
彼と同じように詩を書いていた久美ちゃんは、高校時代の彼の詩集も持っていましたから、それを借りてきて、私の持っていた大学時代の文芸部誌と合わせて、暇を見てファイルにまとめて…
この年になって改めて読んでみると、やはり彼の詩には色濃く死の匂いが漂っていました.
あぁ、生きては行けない人だったのだろう、と、改めて思ったりもしました.

来月、久美ちゃんが遊びに来るそうです.で、改めて、二人で “モーニン” のお葬式をするのでしょう.“我らが青春” の墓標です.
“イスパニアのクレヨンを持ちて今日は明日の通夜” って訳です.

内田英夫の死と前後して、久美ちゃんと私は “一生もの” の友人になりました.
「お互い尻尾を握り合っての “腐れ縁” だね.」 と言いながら、何となくこの所、毎年のように会っています.

2000/7/27

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 お絵描きソフトとアニメーション  2001/07/29

長いこと訳もわからずにいじくり回していたお絵描きソフト、やっと少しわかってきました.
と言っても、基礎の基礎、の話なんですけど.やってる人が聞いたら笑っちゃうような話です.
レイヤーという、アニメで言うとセル画のようなものの作り方、なんですけど…
これが、解ったような解らないような状態がもう随分続いていて、半分ヤケクソ、投げ気味だったのですが、突然に解っちゃった!(^o^)

解る時ってこんなものなのかもしれません.
何度も教えてもらっていながら、解らなくて、もうこれ以上聞くわけにも行かないな…って位教えてもらいながら、それでも解らなかったことなんですよぉ!
習うより慣れろ、ってこのことかも…

で、今夜は調子に乗って、 「詩・詩作・短歌」 のページの飾り画像に彩色しちゃいました!
今までは、スケッチブックから取り込んだ白黒の線画でしたけど、色がつきました.勿論、レイヤーを重ねていますから、これから、変えようと思えばいくらでも部分的に色を変えることが出来ます.
となると今度は、混色の勉強をしなくちゃいけませんけどネ.
ついでにそこから開く、目次に使っているほうの同じ画像は、調子に乗ってアニメーション化してみました.ちょっと見てください!
まァ、動きに関してはまだまだ変えていかなくちゃいけない出来ですけど、もう夜中を過ぎちゃったから後はまた今度、ということで、今夜は気分良く休みます.

50の手習いは、遅々としてはいますけど、カタツムリくらいの速さでは進んでいくようです. 嬉しいったらありゃしない!! この夏は、もうちょっとお絵描きソフト、がんばるぞぉ! ってなモンです.

2000/7/29

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 ボクも作品!  2001/07/30

翔太

気が付いたら、テーブルの上の、作品撮影用の色画用紙を貼ったコンパネの背景の上で、黒猫の翔太が、ちゃっかり寝ています. 「ボクも作品!」 ってカンジ、かな?
我が家唯一の “男性” です!
で、照明をつけて撮ってやりました.ところが作品に比べてだいぶ大きいので、切り取って背景の中に収めることが出来ません! 従って、背景の色画用紙の張り方のいい加減な所が丸見え、ですけど…(^^ゞ
掌に載るくらいの大きさで、ウチの庭に捨てられていた翔太も今では体重6kg.ウェストは、今や私と同サイズです.
客観的に見たら単なるドラ猫ですけど…

2000/7/29

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