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8月

 或るコミュでの出来事 2001/08/28

この所、ちょくちょく通っているコミュがあります.のほほんとしていて、なかなか居心地がいい! 書き込みも多いし、“のんびりチャット”も盛んで・・・
でも、そこでも時々、ゴタゴタがおこる・・・

言葉って、やっぱり難しいですよね.特に、この WEB の世界では、それぞれの言葉が時間をかけて推敲を重ねたものってワケじゃないから、それに短いし、どうとでも取れる場合があるし、誤解を生む可能性は高いわけです.
人数も多いし、それぞれがみんなお互いの顔を知らない、何にも知らない人たちが、ニックネームを使って、自分の筆跡を晒すわけでもなく、モニタに現れる特徴のない MSPゴシックの書体で会話を交わすのだから、冷静に考えてみればなにやら恐ろしげではあります.

それでも、いくつか読み進んでいくうちに、何となくその相手の本質が見えてくるような気がしてしまうのもまた、不思議な事です.でも、これって本当は錯覚なのかもしれません.
で、つい不用意に盛り上がったりして、何気なく書いた一言が波紋を広げていく事も、当然のこと、あるみたいです. だって、みんな、お互いの抱えている状況を知らないから、それだけでも、言葉を発するごとに誰かを傷つけている可能性は常にあるわけで・・・

幸い、まだ、当事者としてそういうことに直面した事はないのですが、目撃者になってしまったりするんですよね.で、去っていく人も出てくる.あらら・・・
その瞬間に、その人の抱えてる個人的な悲しみが垣間見えるような気がする事もある.で、いらぬお節介と承知の上で一声掛けてみたり.

やはり今の時代は、人と関わる事が本当に難しい時代なんでしょうね. それぞれが忙しいし、それなりに切羽詰ってる所があるんでしょうし、そのなかで、よりどころを求めて、過度の期待を込めてやってくる人もいるだろうし、だけど中には悪意やイタズラでやってくる人もいるかもしれないわけで.

善意の訪問者はみんな、どこか自分の思いだけであふれ返っているのかもしれません.で、その思いが通じないときに、顔が見えていない分だけ、日常の人間関係の中でよりももっと険悪に、感情的になってしまうのかも.

時々思うのです.モニタを通して誰かと喋っているつもりでも、本当はこれって、鏡に映った自分自身に向かって話しかけているだけなのだろうって.どこか心に風穴の開いた人が、受け手を仮想しつつ、自分自身を相手に独り言を発している、と.まるでブラックホールのよう・・・なんだかちょっと、心が寒くなるような気もします.でも、その認識を持っていれば、それはそれでまた別な関係も開けるかもしれませんでしょ? それとも面倒になって、パソコンは巨大な博物館! ってところに落ち着いてしまうのかしら?
緒についたばかりの “私の IT 革命” も、これから手探りで試行錯誤を繰り返し、取っ掛かり突っかかりしながら、私にとっての “きわめて個人的な” 存在意義を構築していくのでしょうね.

2001/08/27

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 語る言葉 2001/08/27

語る言葉を失う時があります.

語りたいことがあるのに、思いが重たすぎて言葉にならない時があります.
そういう時は黙り込むしかないのだけれど、それもちょっと苦しい.

でも、耐えて語らないことも、時には必要なのかもしれません.
じっと黙って思いの熟す時を待つ事も大切なことかもしれません.どんな思いにしても、熟さないうちに言葉にかえると一番大切な思いの中心が逃げていってしまうのかもしれません.

忙しすぎるんですよ.だから熟しきる前に安易に語りすぎてしまうのかもしれませんしね.
言葉が見つからない時には、じっとしている事も大切なことなのでしょうね.そうしているうちに、思いはきっと、私の中で言葉に変えられるくらいに成長してくれるのではないかと感じています.

やはり、時には静かに時間をかけて育ててやらないといけないことがたくさんあるのでしょう.
息せき切って駆け抜けたのでは見えないものがあるのと同じこと.
ゆっくりと、立ち止まって空を見上げると空の青さに染まって、自分がクリアになったりする事があるんですもの.
のんびり、ぼおっとしていましょう.そのうちに、語られるべき言葉の方が、私のところにやってきてくれるでしょうから.

2001/08/27

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 山歩き  2001/08/18

このところ、運動不足で、ついに、この2、3日は、足が気持ちが悪くってしょうがないから、今日は山歩きに行ってきました.
行った先は芝川町といってほとんど山梨県に近い所.
そこに「天子の七滝」というハイキングコースがあって、所要時間はほぼ1時間.

富士川の支流の芝川の、そのまた支流の稲子川沿いに、ハイキングコースが作られています.
稲子川を左に見ながら、杉木立の山道を登って、途中で橋を渡り、対岸の道を下りて来るのです.
その間に小さな滝が点在しています.中には滝というのも憚られるような小さなものもあるのですが、それはそれ、なかなか風情があるものです.
たいして有名な所と言うわけではありませんので、ほとんど人にも出会わず、まったく貸しきり状態のハイキングコース.

でも、只でさえ渇水期の上に、今年は少雨で、滝なんて、惨めなものです.いつも一番堂々とした趣の「不動の滝」も、ちょろちょろってカンジで淋しかったけど、でもやはり滝はいいものです.水の流れる音が響き渡って、冷たい空気が流れている.

登りつめてから橋を渡り、いつもは戻るのですが、河原を更に奥の方に歩いてみました.この辺りはかなり大きな岩が散在しています.
対岸には“山紫陽花“が盛りで、カラスアゲハが飛んでいました.

岩に腰をおろしてちょっと一休みしていると、足元の石の上にセミがいるのに気付きました.もう飛べなくなったツクツクホウシです.
そっと拾い上げて、叢に移しました.どうせ死ぬのなら、照り返しの石の上よりも叢がいい・・・

見上げると、トンボが交尾しながら飛んでいます.青い空に二匹のトンボの透き通った羽が絡み合って、きらきら輝いて銀色の輪を描いています.モンシロチョウも花の蜜を吸うのにいそがしそうで、山紫陽花の花から花へ、ふわりふわりと移って行きます.
この時期は、静かに、そして激しく生と死とが交錯する季節のようです.ふとそんな事を思うのは、やはり私もとっくに人生折り返したからなのでしょうね.

 歩みて夏門を出ずる行(うた)     曹操孟徳

  神の如き亀は寿(いのちながし)と雖(いえど)も
  なお竟(おわ)る時有り
  のぼる蛇は霧に乗れど
  終には土灰(どかい)と為る
  老いたる驥(うま)は櫪(うまや)に伏すとも
  志は千里に在り
  烈士は暮年にも
  壮心已(とど)めあえず
  盈(なが)きと縮(みじか)きの期(さだめ)は
  但だ天にのみに在らず
  怡(よろこび)を養い福に之(ゆ)けば
  永き年を得べきなり
  幸は甚だしく至れる哉
  歌いて以って志を詠まん

これは、私の大好きな曹操孟徳の漢詩です.三国志で有名な、後の魏の武王ですが、猛き王として苛烈な戦に明け暮れつつも、自らも第一級の詩人でもありそして何より文化を愛した文化人でもあった男.彼が晩年に作った詩です.この頃、この詩のすごさが身にしみます.
暮年にも 壮心已(とど)めあえず 
全くその通りかもしれません.また、その通りにありたいものです.
そんな事を考えながら、ぼんやりと透き通った川の流れを眺め、風の声を聞いて来た一日でした.

2001/08/18


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8・15 幸福論/戦争論 2001/08/18

どういうわけか、ここに書いてあった事がすっぽりと何処かへ消えてしまいました.
全くわけがわかりません.
私のパソコンの中に取ってあった元原稿も、です.
私も粗忽者ですから、自分でどうにかしてしまったのかもしれませんが、なんだか釈然としない思いです.
で、もう一度、あらためて書く事にしました.

この間までここにあった原稿は、8月15日の終戦記念日(敗戦記念日!)に放映されたNews 23についてのものでした.

「新しい歴史教科書」問題からはじまって、小泉首相の終戦記念日に靖国神社を参拝するか否かの騒ぎがずっと続いていて、小泉氏は13日に参拝し(前倒しと言う言葉が使われました!)、そして15日.

放映された靖国の光景には、ちょっと驚いてしまいました.取材する記者を捕まえて、「反日放送局」と詰め寄る者、ののしる者、果ては掴みかかる者.
声高に、そして暴力的に、居丈高に他人の思いをねじ伏せようとして憚らないなんて・・・
こういう、居丈高な部分で、こういう大きな声で、背中を押されて、好むと好まざるとに関わらず戦場に出かけ、死んでいった人がどれほどいたのでしょうか.

主張は主張です. 何を考え、何を主張し、何を信ずるのもそれは個人の問題.一人一人が各々の責任でもって判断すればいいことです.でも、その主張を、居丈高に大声で人に押し付けるのはまた別な話.自由とは、つねに他者の自由とも共存すべきものなのですから.

どんな時でも、普通の声で、静かに語る事が必要なのだと思います.また、そういう自分でありたいと思っています.そして、そういう声で語る事が似合う信念をもっていたいと思うのです.
声の大きさ、激しさ、なんて、カラスのつけた孔雀の羽みたいなもの.信念の不備を声の大きさでカバーしようとしているとしか思えませんもの.
でも、靖国のみならず、最近あちこちで、声高に、居丈高に話をする人が増えてきたような気もしています.ちょっとこわい現象です・・・

News 23の中で、4つの質問がなされました.全問 Yes . No の、二者択一です.

1.あなたは小泉首相の靖国神社参拝を支持しますか.
2.あなたは国のために死ねますか.
3.憲法9条は、先の大戦での尊い犠牲の上に成立したものだと思いますか.
4.あなたは自分が社会に必要とされていると思いますか.

私には、どの質問にも、どちらとも答えられませんでした.

でも、4番目の質問は、今の時代背景においては随分と無残な質問ですよね.
社会が今、どんな人材を必要とみなすのか・・・
そのことと、自分のアイデンティティーとは本来、何も関わりがないはずです.
その事が自分の値打ちを決めるものではないはずです.私たちは道具じゃないのですから.でも、私たち、ちょっと古い世代の、特に男たちは、「金がないのは首がないのと同じ」と思ってる.その悲しさ、いじましさが、おのれの首を締めていることに気付いていないような気がします.金がなかろうが、社会にとって有益ではなかろうが、それはそれ.
おのれの存在とは何の関わりもない、と、その強さが必要なのじゃないですか?それでいいのだと思うのです.

話は変わりますが、私の住んでいる県の県立総合大学には文学部と言うものが在りません.文学部のない大学を、私は総合大学と呼ぶ事が出来ません.
文学とか、哲学、あるいは、メジャーではない(それでは食っていけない、という意味です.)芸術.そういった“クソの役に立たないもの”を大切にする包容力、余力、それが文化だと思うのです.このことも、上記の事と、密接に関係してくる事のように思えます.
飯が食えてこその文化だろーが! という声が聞こえてきそうですが、国の貧富と、魂の余裕とは、今の日本の状態では、たいした関係はないと思うのです.少なくとも飢えて死ぬほどの状況ではないのですから.
要するに、今、私たちの社会は、有用なもの以外を切り捨てようとしているのではないかと・・・経済以外の尺度をもてない、ちんまりと息苦しい社会になりつつあるのではないか、と.

そんなことが、いろいろと頭の中を駆け巡りました.
で、いつのまにか、一つの詩を呟いていました.女の思いはこんな所に尽きるのかもしれません.


君死にたまふこと勿れ   与謝野晶子

(旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて)
あヽをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されむ

あヽをとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりけり

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや思へるや
十月も添はでわかれたる
少女こころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あヽまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ

そうなんですよネ、男たちよ、きみ死にたまふこと勿れ 、なんです.国家にも、社会にも、会社にも、立派に死ね、なんて、そんな事いわせちゃいけません.仮に言われたとしても、そんなこと、しちゃいけません.
誰になんといわれようと、自分は自分でありつづけて欲しいのです.

(終わりに、すくなくとも、この章が消えてしまった事が、私の粗忽の故である事を、心から願っています.)

2001/08/15

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 MY DEAR FRIENDS !  2001/08/09



先月28日に、今年になって我が家の塗り替え工事をしてくれた建設会社のご招待で、ホテルでの花火見物に行って来ました.その時の写真を、今日、三和建設の営業の松園くんが届けてくれました.
一緒に写ってるのは、私の生徒.左から、慎吾、千夏、一成です.( 極少数ですけど、私、子供たちにお勉強、教えてるんです.)
花火見物なんて、一人で行ってもつまりませんから、お食事つきだけど行く?って聞いたら彼ら、二つ返事で付き合ってくれました!!

慎吾と千夏は小学校六年生.一成は中学二年生.こうやって写真にとって見るとみんな大きくて…もう、私、とっくに追い越されてる! 一成と千夏は、兄妹.慎吾は彼等のいとこ、と言う関係で、慎吾のお母さんは、私の友人、といっても妹みたいなもので、もう25年のお付き合い.ですから慎吾なんて、生まれた時からずーっと側にいるようなもの.
慎吾の両親はダンススクールを経営しているので、彼ら、結構パーティ慣れしていて、ちゃんとエスコートしてくれました.
「ひでこちゃん、アイスクリーム食べる?貰ってきてあげようか?」 なーんて.
彼らがもっと小さい頃から、「おばちゃんなんて呼んだら親子ともども、お出入り禁止!」 と申し渡してあったので、彼らは私のことを “ひでこちゃん” と呼びます.よしよし! もっともあんな会場で “ひでこちゃーん” と叫ばれると赤面しちゃいますけど.
今日、写真が届いた時に、丁度彼らが来ていたので、写真を見て盛り上がっちゃいました.

「一成、あんた、どーしてそっぽむいてるわけ?」
「お兄ちゃん、いつもそーなんだよ、いつもヘンな方、向いてる!」
「うっせーなぁ・・・慎吾、おまえ、舌出してる!」
「だってぇ・・・お腹すいてたんだもん.」
「お腹すくと舌出すのかァ? 犬みたいなヤツだなァ!」

で、早速スキャナーで取りこんで、明日、フォト光沢紙でも買ってきて、彼等の分をプリントする約束をしました.
千夏は可愛いし、一成と慎吾はなかなかのハンサムで、みんな私の “MY DEAR FRIENDS ! ".
まァ、こんなにみんな大きくなっちゃうのですから、私も歳をとるはずだワ…(^^ゞ

2001/08/09


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花火 < ネットスケープ  2001/08/06



夕べは港祭の花火大会がありました.ウチはちょっと小高い所にありますので、リビングの真正面から花火が見えます.で、いつものメンバーで、花火見物としゃれ込みました.
いつものメンバーと言うのは名付けて “Single Four" .私を含めて独身者(!)4人の集まりです.年齢は随分違いますけど.って言ったって私が一人で平均年齢を押し上げてるだけなんですが. (^^ゞ メンバーの内の、こーちゃんと三ちゃんは、大昔、彼らが高校生だった頃、美大受験のために通っていた画塾の片隅で、一般人向けに私が七宝の講師をしていたことがあって、それがご縁で、今ではこーちゃんは私のパソコンの先生、いえいえ、神様(!)です.
yuuちゃんは、私と同じくの七宝作家.一緒に伝統工芸展に出品する仲間です.

折にふれては、ウチで集まって、私とyuuちゃんは、こーちゃんにパソコン講習会をしてもらいつつ、ご飯食べながら一杯やってます.“お酒大好き、パソコンはやらない” 三ちゃんはパソコンの時は、ニコニコ眺めてるだけ、下戸のこーちゃんは一杯の時はお茶飲んで喋ってるだけ、ですけど.
で、今回は、花火見物を口実に、更新した私のHPが、IEで見るとちゃんとしているのに、ネットスケープで見るとどうも記述した通りに見えない問題を、こーちゃんに解決してもらおう、と…
いつまでも 「ネットスケープなんて、嫌いだァ!」 って訳にもいきませんから.

「うーん、記述に問題はなさそうだけど…」
「でしょ、でしょ? HTML採点ソフトで、76点だもん!」
「ちゃんと律儀に採点してるんだぁ??」
「そ、私、根がマジメ! 選挙だってちゃんと行くもん.」
「へ???」
などと言いつつ、ちょっと時間はかかりましたけど、無事解決!!結局、画像の大きさをちゃんと記述しなかったのが原因だったみたい.
そんなこと、考えてもいませんでした.それで、看板ロゴの上に、バナー広告が重なってしまう、なんて…そんなことをちゃんと見つけ出すなんてやっぱ、神様、です!
その上、ソースもほんとに見やすく書き直してもらっちゃった.
こんな風に書くべきだナ、見やすいし、間違いも探しやすいもの! で、暇を見て、全てのファイルを少しずつ、見易いように直していこうと思ってます.

それから食事、ビールと日本酒.これは到来物の大吟醸! そのうちに花火が始まって…で、デジカメで取ったのが上の写真です.どうです、きれいでしょ?
シャッターが電気式の故を持って、時間差があって、シャッターチャンスの難しいこと!
それから、こーちゃん持参の“氷かき器“で、カキ氷を作って、シロップと小豆缶で、氷小豆食べながら、大騒ぎでした!! まァ、まるで子供に戻ったよう…
花火が終わってからも、4人ともお喋りだから、いろんな話に花が咲いて、夜中過ぎまでがんばっちゃいました.楽しかったですよぉ!!
ネットスケープ問題も片付いて、ほんとにステキな一日でした.(^o^)

2001/08/06

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 けーくんとの相互リンク  2001/08/03


《褐色の瞳と青い花・クノップフ》


ひょんな事からお知り合いになった“けーくん” のHPと、今日、相互リンクを張りました.
以前の「ひとりごと」に谷川俊太郎の詩、“じゃぁね”のことを書いたのを覚えていらっしゃいますでしょうか?
あの詩を私に教えてくれたのは、私の“パソコンの神様(?)”なのですが、その時に、谷川俊太郎/じゃぁね をキーワードに検索をかけてみて、その検索にかかってきたのがけーくんのページでした.
色々な詩を引用していて、その文章の中に、きらきらと輝く繊細な感性が踊っていました.
ところがそのHPは、どうやら閉じてしまったHPの残骸のようでした.もう、最初のページは削除されていて、Composition と銘打った日記か随筆のようなものが残っているだけでした.それもかなりの分量が.
で、折にふれて読み進んでいるうちに、サーバを変えたという部分を見つけて、アドレスがわかったので、ご連絡をしてみました.「まだ、前のサーバに残っていますよ、残骸が、」 ということと、「ひとりごと」の“じゃぁね”の部分から無許可でリンクさせてしまったことのお詫びを兼ねて、です.
すぐにご返事をいただきました.丁度けーくんもご自分のアイデンティティーに何かしらの迷いを感じている時期だったのでしょう.率直にそれらのことも書いておられました.で、そのことに関して、私なりのご返事を差し上げて、それがご縁で “長〜いメール” のやり取りが続いています.ま、中味は ひ・み・つ! ですけど.(^.^)
全く私の息子と言っても不思議はない、お若い方ですが、妙に感性が似てる…前世は親子だったのかもしれませんね.好きな詩から、青魚が大好きというところまで、全くよく似ているんですから笑っちゃいます.
古めかしいアナログ人間の私と、けーくんと、これは本当に不思議な出会いです.Web の世界であればこそのご縁かも…時も空間も何もかも越えて、不思議なムスコが出来ちゃいました.クソ真面目かと思えば全くハチャメチャで…その辺りの統一性のなさ(!)が若い頃の私自身を見ているようで微笑んでしまう.もちろん、自分自身に対する純粋な生真面目さのなせる業なのですけど.

大好きなフェルナン・クノップフの絵を添えて. がんばれ、けーくん! で、がんばれ、おにこ母さん、です.
Links のページから、どうぞ! 私のは、navigator の artists の所からリンクするんですって.まっ、artist なんて、光栄です!

2001/08/03

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2001・8月

 梅干  2001/08/01



今朝から梅を干し始めました.本当はもう干しあがっている予定だったのですが、このところなんだか曇り続きで干せなかったので、今日からです.
良い色になっていますでしょ.さすがに、新鮮な紫蘇を、こらしょと沢山入れただけのことはあります!
紫蘇の方は、 “ゆかり” にしようと、これもまた、ほぐしながら干しています.
“三日二夜の土用干し” です.干しながら、つまみ食いをすると、漬けて間もない梅の、独特の鋭い酸味が口の中に広がります.
一年、二年と経った梅干のちょっと丸みを帯びた酸味と違って “若い” 感じの酸味です.これはこれで、今の季節にしか口に出来ない味!
紀州の南紅梅なんて上等の梅じゃありませんけど、ちゃんと熟すのを待って漬けたから、それなり柔らかくふっくらと漬かっています.やれやれ・・・一安心.
2001/08/01

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