9月になって以来、狂牛病のこと、アメリカのテロ事件、Nimda、その上、自分の事じゃないけれど、私の周囲に個人的な事件がいくつか続いて、いちいち驚いたり悲しんだり怒ったりしていたら、なんだかこの頃すっかり疲れちゃいました. 急に涼しくもなりましたしね.夏の疲れも合わさっているのでしょう.このところ、ちょっと膠原病の症状も出てきていて、今日は医者に行ってきました. まァ、例年の事ですから、さほど驚きもしませんけれどネ.結構この病気とは、仲良く何十年も付き合ってるんですから、旧知の間柄ですもん. 検査結果も出ていて、ビックリするほどの数値の上がり方でもなかったから、まぁまぁというところでしょうか、食欲も出てきたし、これなら、騙し騙し行けそう・・・ひと安心! 疲れが取れる頃には元に戻っているでしょう. ちょっと色々、夢中になってがんばり過ぎちゃったんでしょうね.(^^ゞ ふと顔を上げるとパソコンの前の窓の外に、ヤモリが貼りついています.あらら、久し振りじゃない! 長い事見なかったから心配してたのよ! と、思わず声をかけちゃいました. でも、多分以前にここに住んでいたのとは違うヤモリなのかもしれません.もう二年ぶりですもの. 以前にいたのは主人が書斎に使っていた部屋の窓の外でした.毎晩遅くまで明かりがついていたから、虫も寄ってきて、住みやすかったのだと思います.大小二匹いて、それぞれに “大ヤモっちゃん” “小ヤモっちゃん” と名付けていたのです. で、その後その部屋は私がお教室に使っているので、夜、明かりがつく事もなくなって、時々あのヤモリはどうしたのだろう? と思っていました. この頃は、私が遅くまでパソコンの前に座っているので、この部屋はずっと明かりがついています.だから、ヤモリも住み着き始めたのかも. ヤモリは、その仕草がなかなか可愛いものです.首を振ってあたりを見回す様子、身体をくねらせながらヒョコヒョコと思いの外の素早さで、虫などを捕らえる様子・・・ ずっと住み着いてくれるといいな.また、“ヤモっちゃん” と名付けて、「おー、今日もご出勤? 沢山食べられるといいねー」などと話し掛けたりして. ありがたいことに、なかなか、我が家は平和です. |
先日18日以来、Nimdaが、猛威を振るっているようです. 昨日お会いしたT.U氏の会社でも、約30%程度が感染していて、やむなくブラウザをネットスケープに変える事にした、と聞きました.こーちゃんも現在、職場の約40台を相手に、連休も返上して格闘中とか・・・ このたびの Nimda は、突然にウィルスが極めて身近に迫ってきた感じです.今までは、私みたいな初心者には、どこの世界の話じゃ? って感じだったのですけどね.それだけ、悪質なのでしょうね. 昨日はこーちゃんにNimdaの、readme.eml ファイルを見せてもらいました! 仕事場での “感染記念” に、フロッピーに入れてきたってヤツ! 勿論開いて、じゃなくて、ですけど.こわっ!! で、今朝は、起きるなり、シマンテック社にアクセスして、ウィルスバスター・オンラインスキャンをして、現在、ウィルスには感染していない事を確認して、ホッとしました. http://softplaza.biglobe.ne.jp/onlinescan/index-in.html 今日はこれから、ウィルス対策ソフトを買ってこようと思っています.感染してからじゃ、よそ様にもご迷惑をばら撒く事もあるかもしれないし、常時接続に変わってからはインターネットのやり方も、昔とは格段の開きがあるし、メールも増えてきているし、ま、5〜6000円なら、年間の保険料と考えますか・・・って所です. |
三つ目のサーバ、借りちゃいました! なんて欲張りなんでしょ!!ってわけじゃなくて、掲示板を設置したいと思ってCGIの使えるサーバに申し込んでおいたのです.ところが審査があって、なかなか返事が来ない. もう古ぼけたような工芸になんか貸してくれないんだ、とちょっとイジけて、また別のサーバを借りちゃった.それがここ、なんです.そうしたら、ほぼ一ヶ月たってから、前に申し込んでいた所から審査が通ったって許可が下りちゃったの. どーしよう? と思って相談したら、借りておけば? 贅沢にリソース使えて良いじゃない! とのご託宣.で、とりあえず三つ目も、ってことになりました. だけど、三つって言うのはちょっと私の能力、超えてるかも・・・ いずれ、前の goo を入り口にして、一つは仕事上のページ、もう一つは個人ページにして、遊ぼうか・・・などと、夢は広がっています! 三つ目のサーバには、転送のためのFFFTPの設定にてこずって、やっと今日、表紙だけをアップしました.転送先のホスト名を受け付けてもらえない.「見つかりません」ですって! 向こうの指示どおりなんですけどね・・・ で、困っちゃって、“こーちゃん神様” にお伺いを立てて、グローバルアドレスを.コマンドプロンプトで調べて、それに直して、やっと接続可能に! 私一人じゃ、どうにもなりませんでしたよォ・・・まだまだ、自立の道は遠いようで・・・(^^ゞ でも、何とかがんばりますワ.また、いずれ近いうちに、ちゃんとできたらお知らせいたします.そちらの方にも遊びに来てくださいネ!!! それと、このページにある掲示板も、折角作ったんだから、皆さんお気軽に書き込みしてくださいネ.お待ちしていまーす!!! |
夕べは言い過ぎたかもしれません.ごめんなさいね.でも、言いたかったことの中身に関しては、今も同じように考えています. 作品を創るということ、そして、それを売り物としてではなく作品として発表すること、日常作っている “売り物“ と、 “作品” とを、自分の中でそれぞれをどう位置付けていくのかという事。 あなたたちは、生活があると言います.確かにそうでしょう.誰にだって生活はあるのです.霞みを食って生きていかれるわけじゃない.でも、それは皆同じなのですよ. 才能がある、無し以前の問題として、やはり、そこにかける思いが軽いんじゃないか、と思ってしまうのです. お金を儲けていい生活もしたい、忙しいからそんなに作品にかまけていられない、話があるときには個展もやりたい、でも入選もしたい、審査員が自分の作品をわかってくれない・・・そんなもんじゃないでしょうよ.選外になった所で、作品は確実に残っているんですから.何らかの形で自分の中に、重く確実に蓄積しているんですから だから、私は言ったのです.作品を作らなくても十分に生きていく事のできる人たちは、作品なんか作る必要はないのよ、と.作品に対しても、生活に対しても、それは失礼なことなんじゃないの?と. 私の七宝は、カルチャー上がりの七宝だから、ほとんど独学で、極端に言えば、技術も何もないところからのスタートでした. その上で、 【 作りたい作品、表現したい自分 】 だけが先行していました. 表現しなければ生きてはいけないような気がするくらいの激しい思いがあったから・・・この年になっても、まだそれが私の中に渦巻いている・・・ ですから、表現したい自分を表現できるために最小限に必要な技術をその時に追いかける.慌てて身につける.それの繰り返しですよ. そして、無我夢中で追いかけているうちに、それが何時の間にか自分の中に蓄積されているのです. “思い”が先、でしょう? 入選するか、選外になるかよりも、表現できたか出来なかったかが大切でしょう? 忙しいのなら、ずっと早いうちから “思い”を暖めてよ.ギリギリの土壇場で初めて “作品” 何作ろうかなァなんて、やっているのは止めなさいよ. あっという間に時は過ぎていくんですから.もう何年、同じ事を繰り返しているのよ.作品に集中する時が、長い目で見れば自分の日常の仕事の質をも、確実に上げてくるはずでしょ? 夕べ、あなたたちは言いましたよね? クキサンや、成毛さんたちは、もう立場が違うからそういうことも言えるんだって.でも、私たちだって最初からこの立場じゃないのよ. 今だってあなたたちよりも、ひょっとするとずっとビンボーかもしれない.でも、やっぱり、作品のために、相変わらず3ヶ月は時間を空けているのですよ.集中を途切れさせる事はゼッタイに入れない3ヶ月を. はっきり言って、あなたたちだって、もう決して若いわけじゃない.40代も半ばを越えていれば、自分の想像力がいつまで保てるか、それは今の時期をどう送るかで決まってしまうという危い年齢でしょ? 今、蓄積しておかないといずれ、どうにもならなくなっちゃうかもしれないのよ. 気力・体力・想像力、この3本の柱がちゃんとしていて、初めて 【創るという作業】 が成立すると思うのです.で、それらは年齢と共に確実に衰えてくる.実感として、あるわけですよ、それが.その事を実感として抱えているから、つかなくてもいい悪態をついてしまうわけで・・・ いつまでがんばれるのかなァ、と思いつつ、毎年私は作品を作りつづけているのですから・・・ |
何故、死んでしまったのですか? 何故、死を選んだのですか、教えてください. 周りで見ていた私たちには順風満帆に見えましたよ、あなたは. 一度目の自殺は未遂で、 それからひと月も経たない内に今度は本当に死んでしまったあなた. 今日は一日、じっと座っている事も出来ずに ウロウロと歩き回っていました. 何があなたの襟髪を掴んで死の淵に引きずり込んだのか あなたの日常を知るほど親しかったわけではない私には窺い知る事は出来ないけれど まさか、物を作る孤独に負けたってことじゃないですよね. あんなに論理的に思考する事のできるあなたが・・・ 人は自分を正しく評価できない. 自分を評価する時は決まって過大に過ぎるか、過小に過ぎるか そのどっちかです. でも、あなたの作品は、あなただけのものである域を越えていました. そのくらい、あなたの作品は、美しかった. それを生み出すあなた自身を、何故にあなたは自分の手で 消し去ってしまったのか 分からないわけでもない、とつぶやく声が聞こえます. 何か、大事なものが枯渇してしまったと思う瞬間はあるから. 砂を噛むような思いでそう思い込むときはあるから. そしてその思いを抱く時が長く続くこともあるから 自分の存在を否定してもいいと思ってしまうくらいの激しさで. 年齢を重ねるにつけて、欲望が薄くなっていくのでしょうか 生きていたいという思いすら薄くなっていくのでしょうか 私は今、何故かとてつもなくおびえています. |
「秋の気配」を書いている最中に、ワールド・トレード・センターに飛行機が衝突したというニュースが飛び込んできました. で、TVを見ていたら、2機目が突入する瞬間が映りました.2機? 2機じゃぁ事故じゃない…自爆テロ? パレスチナ? IRA? そのうちに、ペンタゴンにも突入、のニュースです.それから、パレスチナ解放民主戦線の、犯行声明が出された、と.民間機のハイジャック、そして突入.それからワールド・トレード・センターの倒壊・・・まだ、行方不明の飛行機がいる? これは、何の始まりなの? これは、ひょっとして大きく歴史の動いた瞬間なの? 民族問題は、きっと今世紀の最大の問題なのだろうとは思っていました.本当は、否定するのではなくて、それぞれの文化のあり方をきちんと認め合う所から始まるべきなのでしょうけれど…憎しみからは何も生まれないのだから…と、漠然と考えていました. 民族、宗教、それに経済問題が絡む.「出口ナシ」・・・で、同時多発テロ? 特攻? これが始まりで、これからさらにいったい何が始まるのでしょう.戦争? 世界恐慌も? まるで戦場と化した NEW YORK .アメリカが本土攻撃されたのは初めてのことですし、これは、もうすでにテロの範囲を越えて戦争状態に等しい・・・ アメリカはその威信をかけて、報復するのでしょうし、一体これから、どうなってしまうのでしょう.鳥肌の立つような怖さを感じています.今感じているのは、怖さだけ、です.だいたい、どれほどの死者がすでに出ているのかすら、見当もつかない.そして、これが始まりで、これからどのくらいの命が失われるのか…言葉にならず、ただ、涙が出て来るばかりです. 今は、なんだかよく分からない部分も多くて言葉にならないけれど、このことから始まるすべての事は、及ばずながらも私自身の目できちんと見極めなくてはと、思っています. 2001/09/12 |
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台風が去って、昨日から閉めっ放しの雨戸を開けました.一番初めに目に飛び込んできたもの・・・彼岸花! 台風の終わりの西風にあおられつづけていた所為か、東向きに傾いていたけれど.
あたりを見渡すと、何時の間にかあちこちに一叢、一叢と、彼岸花の蕾が突っ立っています. 曼珠沙華 一むら燃えて 秋陽つよし そこ過ぎてゐる しづかなる径 −木下利玄− これは、中学時代に国語で習った短歌です.この短歌に出会ったときに、子供ながら、昼下がりの山あいの、人ひとりいない田の畦道に咲く彼岸花、山に続く細い道、サワサワとなりつづける葉擦れの音、そんな情景がまざまざと浮かんできて、それ以来、その年初めて彼岸花を見ると必ずこの光景と短歌とが心に浮かびます. 高校の頃は、通学途中の駿府城の石垣に、びっしりと燃えるように一面に彼岸花が咲いていて、それを摘むのに我を忘れて、しょっちゅう遅刻していましたっけ.抱えるほどに彼岸花を摘んで学校へ行くんですから、なんともはや、ですけどね. 先生もあきれ果てて…「オマエなァ…」でおしまいでした.まァ、お説教されずに済んだのは、変わり者で通っていた所為かもしれません. 午後になって、夕食の買い物に行く途中、開け放してあった車の窓から、突然に金木犀の香りが飛び込んできました.今年初めて、です. 何か、突然に鼻の奥がつーんとして涙が出てきそうになってしまう、そんな香りです. 日の落ちるのもだんだん早くなってきています.確実に夏は終わり、秋の気配が日ごとに濃くなってきています.けれども、私にとっての秋の気配は、彼岸花と金木犀の香りと、これに尽きるようです. 2001/09/11 |
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我が家の玄関の片隅には猫穴が切ってあります. したがって、我が家の猫どもは、24時間お出入り自由、夜遊びO.K. 当然のこと、我が家の飼い猫ならぬ野良猫も24時間の出入りが自由なわけで・・・ウチの我儘猫の食べ残しを狙って入ってくる. まァ、構いはしません.どうせ、ウチの猫どもは我儘者揃いで、一度食べ残したものはほとんど食べない.で、捨てる羽目になるのですから. それに、よその家の中まで入ってくるには、野良猫にだって相当の勇気を必要とするはずで、その勇気を振り絞れるためには余程切羽詰っての事なんだろうと思うわけです. 今までも随分いろんな野良猫が来ました.通いつめていて、病気になったのをきっかけにウチの飼い猫になったヤツもいます.そういう猫は、やはりよくよく病気をこじらせての事ですから、そのときは一時的に直してやれても、そう長生きはしません.まるで死に場所を求めるようにウチに住み着くケースが多い・・・まァ、これもご縁かと、何匹看取ったでしょうか.バカですよね、私も.その都度、悲しい思いをして・・・ 私の母は、東北は秋田の生まれの明治女でした.もうなくなってから16年、足掛け17年になりますけど. 母の田舎では、冬の間中、夜になると雪の積もった田の畦道に、その日に出た野菜クズなどの台所のゴミを置いておくのだそうです.エサを探して里に下りてくる動物たちのために.まァ、今は昔の話なのでしょうけれど. 子供のころ、庭に大きな次郎柿の木があって、(今も、我が家の庭にありますけど.)よく実がなりました.で、収穫の時になると 「手の届かない所になった実は“天のもの”よ」 と言って、絶対に取らない. 「鳥さんにもお裾分け、ネ! 全部取って、自分たちだけで食べちゃうなんて、恥ずかしい事よ.」 子供のころに言い聞かされたそういったことが、私の中に染み込んでしまっているのでしょう.今だに、柿の木になる実は、必ずいくつか取り残します.沢山の鳥たちが集まって来て、それをウチの猫がとってくる、なんて事件も時には発生しますけど・・・ で、話を戻して、野良猫. 去年辺りから、時々やってくる野良猫がいました.白と黒のブチ猫で、あろうことか顔の真ん中に大きな黒の斑点! まァ、ギョッとするようなご面相です.この器量じゃ、お世辞にも可愛いなんて言えやしません.不細工!! これじゃ、どこへいっても“シッシッ!”って追っ払われるだけだろうな・・・で、名付けて“ぶっちゃん”、不細工・ブチ猫の“ぶっちゃん”です. エサの盗み食いを見てみぬ振りして、気付いて逃げる後姿に“ぶっちゃん!”と声をかけつつ、何ヶ月かを暮らしているうちに、大分慣れて、やって来ると、食べる前にお座りして、私の顔を見上げてそれからそそくさと外へ出て行く.で、食べ残しを集めて外に持っていくと玄関の前でちゃんと座って待っているようになりました.勿論、毎日ではありませんけど. 玄関脇にダンボールの箱を置いておくと、留守の時は、私が帰るのを、時にその箱の中で待っていることがある.で、私が帰ってくると外に出てきて、私がエサを出すのを行儀良くお座りして待っている.勿論ウチの猫とはけんかはしません.何となくウチの猫たちも、“準・ウチの猫”として認めているみたい.で、それなり平和に. ところが、この夏は、一度もぶっちゃんがこないのです.もう2ヶ月以上姿を見せません.夏の間は野ねずみや虫やら、食べるものに事欠かないので来ないのか、それともどこかで死んでしまったのか・・・時々、どうしているのかなァ、と思っています.今までも、一ヶ月くらい姿を見せない時もあったから、どこかでゲンキにしているのかもしれませんけど. 獣医さんのお話では、野良猫の寿命はほぼ3年くらいのものなのだそうです.それだけ環境が厳しいのでしょう.それでもたくましく、生きてる.エサをもらえると分かっていても来ないのだから、それはぶっちゃんの意志です.まァ、仕方がないことで、遥かに心配してるよ!という思いを送ってあげるしかありません.野良猫は少々ひもじくても気ままに生きるほうが幸せ、なんでしょう.その気持ちも、分からないわけではありませんから. |
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どうも、子供のころから私には分析癖があるらしい.自分の事、相手の事、何から何まで、気がつくと少ないデータをかき集めて分析をはじめている. 自分の事はともかく、他人の事なんて分析できるものでもないのに. 何が原因で、あの言葉でそうも傷ついたのだろうか? とか、私は何であれほど腹がたったのだろうか? とか・・・いつも根本的な部分がどこにあるのか探ろうとしてしまう. そうなると、感情的にならなくて済む.ある意味では平和に過ごせるし、一見、理性的に見える. だけど、そうはいかないんですよね. 感情ってのは、理性的に分析して、位置付けして、納得したとしても、だからと言っておさまるものじゃないって所があって、無理やり閉じ込めた感情に、場合によっては反撃を食らう.ちょっと食事がとれなくなったりしてしまう. で、私のそういう過度の分析癖がどこから来るのかを、また分析しちゃうってのも、これまたヘンですよねぇ・・・ でも、分析しちゃうのです.悪癖としか言いようもありません. 私は父が56歳の時の子供です.で、中学生になった時に父が倒れた.状況は一変しますよね.そのとき、私は両親の関わりの中からはじき出されたような気がしたのです. 実際、母の目は父をだけ見ていたし、私の入り込む余地はなかった・・・と、思ったのです.実際はそんなこともなかったのでしょうけれど. で、私は書物の世界に、逃げ込んだ.早熟な文学少女になるより他に道がなかったんでしょう. 思春期の危い年頃だし、色々と親に相談したい事も沢山あったのだと思うけど、それは許されないような気がしていました. で、そのころから、私の中には、“過度な” 独立心が培われてきたのでしょう.それは、言い方を変えれば、ひどく臆病なだけかもしれませんね. 傷つきたくないから、甘えないってことなのかもしれません. 甘えずに自分で解決する! 自分で解決できる事なのか、責任を取れることなのか、と.そのためには、自分の感情を飼いならさなくては、と考えたのでしょう.感情と言う暴れ馬に手綱をつけて意のままに操る! そのためには、自分を知る事が必要! で、感情をおさめるために分析をはじめる. 可愛くないですよね.ですから、ある意味では感情をあらわすのがヘタなのです.プラスの感情は規制する必要を感じていませんから、ケッコウ上手に表すのですが、マイナスの感情はまことに下手! どこかで閉じちゃうのです.自分自身に禁じてしまう. でも、一回くらい、私、何バカなことを騒いでいるんだろうと思いながらでも、感情的に大爆発してみたいなァ、と、そうしたら、随分スッキリするんだろうなァと、思ったりすることもあるのです. 感情的になった私って、きっとすごいだろうなぁ・・・なんて.自分でも、ちょっと怖いですけれどネ. そう思いながらもちょっと憧れたりするのです. |
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