最終更新日 ; Wednesday, 30-Jan-2002 00:00:00 JST

2002・1月


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A Happy New Year  2002/01/01


あけましておめでとうございます.

ここ清水は港町ですから、0時を迎えて新年になると同時に、港に停泊している船という船が一斉に汽笛を鳴らします.
今、町じゅうに汽笛が響いています.いかにも新しい年の始まりの予感に満ちています.打ち上げ花火もきれい!冬の花火です.
いい年になるといいですネ.皆様のお幸せを、心よりお祈りいたします!!

昨年5月にオープンしたこのホームページも、はや二年目に突入しました.(ホントは7ヶ月ですけど.)
昨年中には、約6200人余り、10月25日に、サーバダウンして以来再び立ち上げたこのページも約800人近い方々がご訪問くださいました.本当にありがとう!
今年もがんばらなくっちゃ! てなことで、今年もどうぞよろしくお願い致します.

今年の目標は、ここにネットショップを開こうかな? と考えています.昨年中にオープンする予定だったのですが、不精モノのゆえに挫折.今年はがんばるつもりですけど・・・ま、合わせてご期待くださいませ!(^^ゞ

皆様も、ご訪問の足跡、掲示板にどんどん残していって下さいネ.

初日の出を拝もうと早起きしたのですが、東の空は雲が厚くて、“初日の朝焼け”しか撮れませんでした.
ご覧下さい.刻々と変わる茜色が、とても綺麗でした.

2002/01/01

新年の朝焼け
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 ゲンキになりました! 2002/01/02


あけまして、おめでとうございます! 翔太です.

ご心配お掛けしましたけど、ゲンキになりました!! 皆さん、ありがとうございました.


2002/01/02

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 あなたへ 2002/01/03


去年は何故か、多くの死に取り巻かれた一年だった.
自殺した人、病気で亡くなった人、長い療養の末に亡くなった人、突然逝ってしまった人… それぞれの死と、そして残された者達の、計り知れない悲しみが重たい一年だった.特に、30代、40代、50代と、みんな寿命というには程遠い若さの死だったから…

人は生まれ、そして、遅かれ早かれ、必ず死ぬものなのだけれど…それだけが唯一確実に約束されている事なのだけれど.

癌で亡くなった人、心筋梗塞で亡くなった人、自殺した人、それぞれが○○白書とやらでは単なる数字として統計されニュースになったりもするのだけれど、生きていくこと、死んで行くことは数字じゃない.
かけがえのない記憶に彩られた喜びと悲しみ、優しさと憎しみまでが綯い混ぜになった、一つのかけがえのない存在の消失なのだから.

そして残されたもの達は、否応なしにその喪失感と向き合い、どこか疚しさと後ろめたさとを感じながら、生と死の意味する事を考えながら消失した存在と重く関わりあって生きていかなければならないのだから.

昨年の暮に大事な人を亡くされたあなたの悲しみは、あなただけのもの.
私には、涙を流しつつも傍らであなたを見詰めている事しか出来ないけど…
悲しいね、寂しいね、つらいね、悔しいよね.

風邪、引くなよ、メシ食えよ、泣くだけ泣いてしまいなよ.
それからゆっくり考えればいいよ.
悲しみを癒すのは、時だけなんだから.
そんなあなたの側で、ずっと、ちゃんと見ているからネ.


2002/01/03

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 You can't see what I see. 2002/01/05


ビル・エヴァンスの、"Waltz for Debby" を聞きながら車を走らせていると 急に風花が舞い始めた
まるでボタン雪のような大きさの雪がフロントグラスに張り付いて 見る見る融けていく
真っ黒な小さなゆき雲 その向うには冬の青空がまぶしく広がっている 奇妙な光景だ

車を止めて、木立の中に入ってみる
冬枯れた木立は
あまりに静かだから 風に舞う枯葉の音さえ響き渡っている
からからと 乾いた音を立てて 吹き上げられた枯葉が 舗装された路を転がっていく音が聞こえる

かさかさと 私の足音が 枯葉の音をたてる
冬枯れた雑木林は いい
なにもかにも削ぎ落とした白い骨のような枝は 実にいい
凛と澄んだ冬の空気の中に 何よりも 人の作り出すさまざまな音が聞こえないのがいい

枯葉の音 冬枯れた枝のかすかに擦れ合う音
神々の呟きに満ちている
耳をすませていると 私も冬枯れた枝になる 一枚の枯葉になる
風に吹かれて かさこそと 冬枯れた音を立てる

けれども じっと見詰めると 枝のあちこちには
もう 春の訪れを待つ小さな硬い芽が しがみつくように息づいているのが見える
こうして時は巡り 命は巡るのだろうと ふいに優しさに満ちた微笑が帰ってくる

You can't see what I see.
そうそう それでいい


2002/01/05

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 占領されちゃいました… 2002/01/07


先月ほぼ20日余り、翔太は私のパソコン部屋兼仕事部屋で療養生活を送りました.猫の出入り口のない部屋はここだけなんです. 後はみんな猫の入り口が作ってあるので、出入り自由.和室にはないのですが、襖を開ける猫がいるのでどうにもなりません.

で、仕方がなくて、ずっとこの部屋を病室にしていました.私の仕事机の上に籠を置いて、それをベッドにしていたのです.で、治った今も、彼はそこを自分の寝床に決めたらしく、ちゃっかり毎日占領しています.
見てくださいよ、この寝相!!



翔太

まぁ、あきれたもんです…
早く片付けちゃわないと、私の作品が作れない! と、思いつつ、何だかそのままにしてる私が悪いんですけどネ.

そろそろ、東海伝統工芸展の作品にも取り掛からなくてはなりません.今年は、昨年の暮れになって突然に、昨年まで中断していた東海伝統工芸展・静岡展が再開されることに決定して、何かと気ぜわしくなりそうですしね.早めに掛かって置かないといけないのです.
かわいそうだけど、そろそろ、追い出そうかな? と、思いつつ、つい、この寝相を見るとニヤニヤ甘くなっちゃいます…困ったものです.


2002/01/07

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 昭和の風景 2002/01/08


このところこの辺りの地方局では、午後に昔の向田邦子のドラマの再放送が毎日放映されています.「父の詫び状」や何かをベースにした、昭和10年代くらいが時代背景の、かつてのお正月ドラマの再放送です.
今日は“家族の肖像”  向田邦子原作 金子成人脚本 久世光彦演出 田中裕子 小林薫 加藤治子 四谷シモンなんて、私の好きな俳優が一杯出てきて、結構見ごたえがありました.
昭和10年代ですから、日本が大戦に向かって歩みだしているころの話です.これは余談ですが、そのころ、私の両親は、樺太に住んでいたのです.そのころの樺太の写真が沢山残っています.そのうち、その事にもふれてみたいと思っていますけど.

私が生まれたのは戦後なので、時代的にはもっと後なのですが、今ほど暮らしの移り変わりは激しくない時代ですので、見ているととても懐かしい風景が繰り広げられています.
暮れの大掃除、お正月に晴れ着を着る、神棚に家族全員で手を合わせる、お屠蘇を祝う…いかにも日本的な「ハレ」の風景です.
今年、私がお正月らしい事をあまりに何もしなかったからかもしれませんけど、やっぱり独りだからと言ってこれではイカンなぁ〜って… 七草粥もいい加減にしちゃった.(^^ゞ

ちゃんと区切る、というのは、ある意味ではとても大切な事なんじゃァないかと.自分自身にとってもね.まぁ、あまり不精をしないで季節の区切り、年の区切り、色々な行事はできる範囲でちゃんとやろうかなって、思ったり.

でも、彼女のドラマにでてくる登場人物たちはとても激しいですよね.たいへん理性的で静謐なありようを持っているにもかかわらず、とても激しい.生き方とか、愛し方、恋のありよう…

それって、やはり生き方にしても何にしても社会的なタブーが確立しているからなのかもしれませんね.確立したタブーが立ちふさがるから、自分の感情にしても何にしても、きちんと一度は理性のフィルターを通すことになる.立ち止まって検証せざるを得ない.深く考える.自分の事、他人の事…その事が激しさ、なにかしら昇華したものに結びついていくのかもしれません.
今の時代はタブーが薄れているから、愛も恋も、昇華したものに行き着く前に安易に肉体に行き着いちゃうのかも.
どっちみち、或る種の欲望からスタートするのでしょうけど、欲望のままに、見えるかもしれないものを見る前に、お互いを食い尽くして終わるってのはチョッとつまらないかも…なんて、思っちゃいました.

明日も再放送があるみたいです.午後からは仕事が入っていて見られませんから、ビデオでも撮っておこうかしら.たまには懐古趣味も、己を振り返るよすがには、いいかもしれません.ちゃんと区切りつつ暮らすためにも、ネ.


2002/01/08

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 二十歳のころ 2002/01/11


夕べ遅く、正確に言えばもう今日になってからですが、NHKの「プロジェクトX」で、「浅間山荘事件」をやっていました.多分何年か前の再放送だと思います.

いろんなことを思い出しちゃいました.丁度そのころ私は大学の文学部哲学科に在籍中で、福岡市箱崎に学生アパートを借りて住んでいて、勿論あのころはTVなんて持っていませんから、いつも行くラーメン屋のカウンターの片隅でずっと実況中継を見ていました.
三島由紀夫の自決も、よど号が飛び立つのも、同じラーメン屋のカウンターで見ました.もっともよど号の場合は「只今、板付を飛び立ちました.」というアナウンサーの言葉とともに外へ飛び出して、頭上を行くよど号を見送りましたけど.

当時の私は、いわゆる“ノンセクト・ラジカル”と言うヤツで・・・
鹿児島本線と背中合わせの下宿で、毎朝5時前、丁度貨物列車が通り過ぎる時間に、頭上を、当時板付にあった米軍基地から、ヴェトナムへ向かう偵察機が轟音を響かせながら飛んでいく.すごい音でした.週末には福岡の町に米兵が繰り出して.
ヴェトナム戦争反対・大学教育改革・沖縄返還・安保反対・・・佐世保にアメリカの原子力空母エンタープライズが来て、「エンプラ帰れ!」と佐世保まで出かけてデモをしたり、大学のコバルト実験室の隣棟に、自衛隊機が墜落してその残骸が反戦闘争の象徴になったり、まぁ、なにかしらの高揚感を伴ういろいろな事が起きていました.

友人たちの中にはセクトに所属して、闘争に明け暮れている者もいましたけど、私は恋をする方にもそれなり忙しくて.(^^ゞ
民青からはトロッキストと呼ばれ、セクトの連中からは日和見と呼ばれつつ、恋をし、キェルケゴールやサルトルを読みふけり、カミュや、マルグリット・デュラスの小説に涙する事の方が忙しかった.まァ、活動家ではなかったけれど、一般的なというにはチョッとだけ過激な学生時代を送っていたわけです.

あのころ、私は何を見ていたのか、そこいらあたりはちゃんと整理をつけておかなければいけないかも、と思いながらも、30年以上、ダンボール箱2〜3個分の資料は、何も整理をせずに、今だに押入れの中で眠っています.(^^ゞ
あの後、どういう経緯だったのかは定かではありませんけれど、セクトでは「内ゲバ」と呼ばれたセクト間の抗争が横行して、私なぞは、「連帯」という言葉に見切りをつけて、極めて個人的な世界に潜り込んでしまったのですけれど.
でも、あの時代が私に記したものは、今だに大きいのです.

あの時代がなければ、大学に残って、今ごろはゴソゴソと、時代遅れの「実存主義」の研究者になってたかもしれませんしね.えへへ.


2002/01/11

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 チューリップ 2002/01/13


お正月以来の寒波もしばらくは一段落、という予報が出たので、今日は、懸案の残りのチューリップの球根を植えました.

我が家の敷地の端っこの、道に面した所にいつも草茫々にしてしまう場所があるのです.チョッと土手のようになっているところです.猫じゃらし、オシロイバナ、あかまんま、八重葎、やぶからし、ありとあらゆる雑草が茂ってしまってどうしようもない.

今日は朝からそこを耕してチューリップの球根を沢山植えました.
東向きの斜面ですから日当たりも良い場所です、路ゆく人たちにも見ていただけるし、雑草退治にもなるし、一石二鳥!!
耕していると、通りがかったご近所さんたちに、早速「何を植えているんですか?」って声をかけられて、チューリップの球根を見せたら、「随分大きくて立派な球根ですネェ、楽しみにしています!」って言われちゃいました.綺麗に咲かせられるといいのですけれど・・・

チューリップの球根を植えるのは初めてで、どんな風にレイアウトすれば良いのか、見当もつきませんから、めったやたらに植えちゃいました.手前にムスカリを一列に並べて.咲いたら写真を載せますね!
これで、毎年、草茫々の荒地も解消かな? せいぜい、草だらけにしないようにがんばるつもりでいます.(^^ゞ
なれない畑仕事でちょい疲れましたけど、体を使ったので気持ちのいい疲れです!

昨日は友人とキムチ鍋でちょいと一杯飲んで、ゆっくりお喋りして来ましたしね.
まァ、お正月中、ヒマを見てはパソコンの前に座りっきりで、ホームページの更新・修正ばかりみたいな生活でしたから、飲んで騒いだり畑仕事をしたりというのが、それなり溜まったストレス解消に効果バツグン.さっぱり〜〜です.

さて、そろそろ現実に舞い戻って、作品作りにも取り掛からないといけません.
また、作品制作日誌、はじめなくっちゃ!! そっちの方もご期待くださいませね.


2002/01/13

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 ケンカのススメ 2002/01/14


今年も成人式の時期がやってきました.本当は今日なのでしょうが、昨日とりおこなった自治体もあったらしく、今朝のニュースでは那覇市の成人式の荒れ模様が放映されていました.
会場の外での出来事らしいのですが、やはりお酒を飲んで大暴れ.用意した泡盛の酒樽を搬入しようとしてワゴン車で、混み合う人込みに突入を図った、とか、警備の警官が260人動員されていて、公務執行妨害での逮捕者がでた、とか・・・
それが、奇妙な事に揃いの着物姿、なのです.何じゃ〜? この、揃いのバカ殿様姿は?? 何でも、出身中学校別に揃いの着物を着ているのだそうです.町内揃いの祭のハッピと考えればいいのかもしれないけど、なんだかこんな所で騒ぐ時も制服なのか?って・・・いかにも衆を頼んで群れているって感じです.

実は先日、知人の子供さんの通っている中学校で暴力事件が発生しました.お目にかかったときは、丁度その事で全校の父兄を集めての説明会の直後だったので、色々話を聞かされたのですが、余りにひどい話で.
1人に対するのに十数名、1時間以上に渡って入れ替わり立ち代わり、殴る、蹴る、煙草の火を押し付ける・・・半ば気を失いかけて倒れているのを引きずり起こし、羽交い絞めにしてさらに腹部を殴る.木刀、青竹まで持ち出して・・・
結局病院へ搬入された時には何本かの肋骨は折れて、肝臓が二つに裂けていたとか、まァ、命が助かったのが奇跡のような状態だったらしいのです.
その後、それに対する学校の対応の生ぬるさ、遅さに業を煮やした被害者の父兄が、加害少年たちを1人ずつ問い詰めて調べ歩いて、警察に被害届を出したのだとか.
話してくださった方は、被害者、加害者共に、小さな町ですからほとんど同じ町内という感じで暮らしていて、どちらの親御さんとも親同士が同級生だったりで、まァ、地獄みたいなもんですよ、と.

事の発端はおそらく他愛もないことだったのでしょうが、この暴力の限度のなさ、歯止めの利かなさは一体何なのでしょう?

何か、成人式で揃いの着物姿で騒いでいる新成人の姿を眺めながら、その事件との共通性を感じました.
1対1では、恐らくきっとケンカも何も出来ないのかもしれません.或る種の集団ヒステリーのようなものかもしれない.
私が子供のころは、ケンカは1対1でするもの、衆を頼むのは卑怯者、と、何となく暗黙のルールのようなものがありました.
仮に集団で行ったとしても、遠巻きに見届けるだけ.手は出さない.片方が泣けばおしまい、だったのです.泣かなくても、ヤバイと思えば誰かが止めに入って裁定を下して終わりました.だからその後、ケンカした同志が結構一生涯の親友になったりして. いわゆる“意気に感ずる”ってヤツです.

今のケンカはケンカじゃなくてリンチみたいなものだから、ケンカして仲良くなるなんてことはないだろうし、一生涯の恨みつらみを引きずって行くのでしょう.
いつから、こんな風になってしまったのでしょうか?

でも、大人の中でも、そんな風潮はありますよね.真正面切ってのきちんとしたケンカが出来ないオトナも増えてる.ケンカはいけない事だって思い込んでる人.だから自分を出さない.自分を語ろうとしない.
何を用心しているのかがわからない そんなに仮想敵を作る事はないよ、って.ぶつかったって良いじゃない.ぶつかって初めて見えるものもある.ぶつかる事を恐れてさけて通るのはつまらない.正・反・合じゃないけれど、ちゃんとぶつかってこそ新しいものが生まれるんじゃないの?って.

ケンカしたって良いじゃないの.きちんとケンカすれば相手が見える.理解も可能になる.傷つける事、傷つく事を恐れて、逃げて、逃げて、逃げまくって、一体何が始まるのよ? ケンカは別れに通じるものじゃないよ.ケンカは理解に通じるものよ、って.

ぶつかったり、ケンカしたりすることが苦手な世代っているんですよね.表面的に和気藹々、当り障りなく、ってのは私は苦手だなァ…逸れないように、外れないように、仲良しこよしを装って汲々としているってのは見ているだけでも息苦しい.

でも、ケンカってのもやはりそれなりきちんと経験と技術とを必要とするものだから、急にケンカが上手くなる訳のものでもなくて、大体、親の世代がケンカが出来なければ、その技術は継承はされようもないのだから、困ったものですよね.本当は、たいして腕力のない小さな時から、ケンカの経験と技術を学習するって大切な事だと思っているんですけど.
腕力でのケンカだけじゃなくて、言葉を使うことに関してもね、やっぱり、きちんと自分の考えている事、感じている事を正確に過不足なく相手に伝えるための技術は磨いておかないといけない.
その事が、きちんとした人間関係を持ちつづけることに通じるような気がするんですけれど.
逃げまくったり、黙り込んだりして、自分の臆病さから曖昧に失っていく人間関係って悲しいですもん.だったら、ぶつかって玉砕しちゃった方がすっきり、って感じがしますけどネ.

でも、こういう事だって、その人の歴史、教育された時代の風潮、いろんな事が絡み合っての結果なんですから、なんだか怖い気もします.団塊の世代と呼ばれる私たち以後、教育の現場での生徒管理って、あれを契機にずいぶん厳しくなっていったんでしょうね… 或る種、あの時代を境目に教育のあり方が変質したんじゃないのか、と.それを考えると、心が痛みますけど…


2002/01/14

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 薬と感情 2002/01/15


昨年暮れの翔太の膀胱炎騒動で疲労困憊して、その所為か年末ころにちょっと膠原病の赤信号が出て、お正月も挟む事だしと、念のため病院へ行き、ステロイドの処方を受けました.で、年末から飲み始めたのですがさっぱり症状が改善されないので、正月あけにもう一度行って、お医者様と相談.しばらくは量をふやしてみようという事になり、一週間くらいいつもの倍の量を飲んでいました.ま、それで症状は劇的に改善されたので、今は減らし始めていますけれど、その間、まァ、精神状態が悪いこと.

なんじゃ、こりゃ〜〜?? という位、感情が後ろ向きになっちゃう.いろんな事に対する感情が、些細な事にも波立って.あげくの果てに、食事はちゃんと食べられるのに、食後に胃がキリキリしてくる.
これは困った、何とかしなくっちゃ、と思っても、いつもは割合感情の切り替えが早いほうなのに、切り替えられない・・・こんな風で、どうなっちゃうのかしら? なんて、それがまた不安の種になる.

それが、先週末あたりからステロイドを減らし始めたらだんだん治ってくるんですよね.前が向けるようになる.
で、何か、関連性があるのかと、調べてみました.出ていましたよ、ステロイド剤の副作用の一覧に! 中枢神経系作用→各種精神症状の発症 大脳辺縁系の神経伝達物質に影響を与え、症状が増悪、ですって.ついでに消化性潰瘍ってのもありました.倍の摂取量なんて初めてでしたから、こんな副作用があるなんて気付いていませんでした.あはは、ですよね.

でも、不思議なものです.感情も物質だって本当なんだろうな、って.だって、薬物でこんなに影響されるんですからやっぱり物質だわ! 私の“大脳辺縁系の神経伝達物質”にステロイドが作用していたんだ… で、鬱かァ…
うんうん、あの鬱はそれなり、理由のある自然な反応なんだ、納得ぅ!!! と、いつもの極楽トンボに戻った私はニコニコして.単純ですよネェ〜〜

でも、ネットってすごいですよね.まァ、玉石混交でそれなりあやしげな解説や体験談も多かったけど、学術的な解説が瞬時に手に入るんですから、活用しない手はありませんよね.改めてびっくり〜です.

さて、もう少しでステロイドともサヨナラだし、私の“大脳辺縁系の神経伝達物質”も、正常に戻ったみたいだから、午後からは張り切って作品作ります.がんばらなくっちゃ!!


2002/01/15

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 作品制作日誌 2002/01/18


今年もまた、春の東海伝統工芸展に向かっての作品制作をはじめました.ガラス胎の作品を出品する予定です.
で、再び、制作の過程を記録しようと、先日来、作品制作日誌をつけ始めています.

昨年は、どういうわけか、二個作りかけて、二個とも途中で割れちゃいましたので、完成せず、げげっ・・・なんだか振り出しに戻った状態です.記録したデータを点検しつつ、ちょっとおっかなびっくり、ドキドキしつつの仕事なのですが・・・
まだほんの2工程しか進んでいませんが、順を追って各工程をアップしていく予定です.制作過程に興味のある方は時々覗いてみてください.

九鬼英子の世界 “2002・作品制作日誌”へは、ここからどうぞ!

因みに、第33回東海伝統工芸展静岡展は、下記のとおり開催されます.

会期:平成14年5月 31日(金)〜6月4日(火)
会場:静岡松坂屋5Fカトレアサロン

静岡以外の会場(名古屋・岐阜・四日市)での開催日は、後日、展覧会情報のコーナーでご紹介するつもりです.
出品要綱などのお入用の方は、日本工芸会・東海支部まで、お問い合わせください.


2002/01/18

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 新年会&パソコン大掃除 2002/01/20


昨日19日は、遅まきながら Single Four の新年会! ついでに、一人じゃ怖くてやれなかった本体内部の大掃除でした.
こーちゃんが2時ころ来てくれて、ひとまずコーヒーと、お持たせの Mr.ドーナッツのオールドファッションをつまんで腹ごしらえ、それからおもむろに本体の分解!!

側板をはずして、天板、前板もはずして.ドキドキドキドキ・・・それから、掃除機で、ちょっと太めの面相筆を使って丁寧にホコリを払って吸い取ります.放熱板の辺りは結構ホコリが溜まっていました.次に、放熱板からの熱が効率よくファンに伝わるためのフードもはずして、ファンの掃除.大分ホコリが溜まっています.あらら… ここにホコリが溜まるとCPUの冷却がうまく行かなくて最悪の場合は壊れちゃうんですって… これも面相筆でなでるようにホコリを払って掃除機で吸い取りました.

「これって、なぁに?」
「これは基盤.こっちがメモリ、これはハードディスクだよ.ハードディスクもはずして掃除しちゃおう.」
「えぇ〜〜〜! 大丈夫なの???」
「さぁ…大丈夫でしょ??」
「・・・・・・・・・」

で、側板、フードなどは、固く絞った雑巾でちゃんと拭いて、これで中も外も新品同様に綺麗になりました.(^.^)/
再び本体を組み立てて、スイッチを入れて、ちゃんと起動!! うわぉ! やったね!! 心なしか音も小さくなりました.
その後、その他のトラブルを、ちょい、解決してもらって、使っていないwin98の方のIEの、バージョン5.5(SP2)のままだったのをバージョンアップして.

そうこうしているうちに5時ころ yuuちゃん到着.直後に、研修が終わった三ちゃん到着.おつかれさま〜! じゃ、はじめようか.で、新年会です.

鶏団子鍋・タラバガニ・美味しいサトイモをいただいていたのでそれを含め煮にしたもの、刺身はカワハギ、勿論キモ付き!! 食べて、飲んで、喋って…
食べ物話・政治・教育と、ちょい真面目な話もしまいにはバカっ話に化けてたり・・・話は喋るほどにあっちこっちと飛び巡って・・・
三ちゃんが、隠れ BIG COMIC ファンだった事も判明.私なんて、しまいには声が枯れてきちゃった・・・

ちょいと風邪気味で、その上寝違えて肩こりのこーちゃんは、私の愛用の温シップと、蟹雑炊が効いたみたいで、よかったね!!
お開きになったのは午前1時半!! まァ、よく話題が尽きないもんだ…あはは.
今日は私の53歳の誕生日.めでたくもあり、めでたくもなし、なんだけど、この新年会は最高の誕生日プレゼントでした.楽しかったぁ.(^.^)/

で、今日はゲンキ溌剌.作品の続きの箔張り焼成の、今は真っ最中の窯番です.焼成が終わるまで、相変わらずのパソコン三昧で温度調整.がんばらなくっちゃ!! 明日は、今日の仕事をアップするんだ!


2002/01/20

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 言葉、再び 2002/01/28


またちょっと前に中学生が事件を起こしたようです.繰り返し3回も襲撃に行って、被害者の男性は亡くなられたとか… 寄ってたかって1時間半に渡る暴行、角材で殴る.この間の事件と同じような状況です.図書館で騒いでいたのを注意されて、それを根に持っての犯行とか.
一体どういうことなのか、私には理解が出来ません.注意された事が、殺さなければならない程のうらみつらみになるのでしょうか? 仮にどんなキツイ物言いで怒られたにしても、殺す事には結びつかないと思うんだけれど…

まぁ、確かに最近は、ものの言い方をわきまえていないんじゃないの? と思うオトナすらも多いのだけれど… わざわざ感情を逆なでするような言葉遣いを選ぶ大人も増えてるようで.

やはり、日本語が乱れてるってことも原因としてあるんじゃないかと思うのです.
ちゃんとした言葉遣いできちんと話すことが日常に少なくなったような気がしています.
無理もないのかもしれません.私が子供だったころにはTVも、ゲームもなかったし、マンガは子供の領分をはみ出してはいなかったから否応なしに飽きて、他のものに移って行くしかなかった訳で、小学校も3年くらいになると私なんかは文字の世界にどっぷり浸かっていました.家の中では、母は父に対して敬語を使っていたし、そういった意味では今よりはずっと日本語環境がよかったのだろうと思っています.言葉がどれほど自分の中にイメージを膨らませるかを知ることが出来たのですから.
でも今は楽しみがありすぎる.言葉なしに生きていけるような気がしてしまうくらいにも.

「ものの言い方一つで角が立ったり丸く収まったりするものなんだから、感情をぶつける事だけじゃなくて、相手の気持ちも考えて話しなさい.一旦口からでた言葉は取り戻しようがないのだから.」と、母親に口癖のように言われて育ちました.
で、知らず知らずの内に、言葉とはとても大事なもの、大事に使わなくてはいけないものだという思いが私の身には染み込んでいるようです.

それを考えると、やはり、切れるとか暴走しちゃうというのは、言葉が上手く使えないってことでもあるのじゃないのかと思うのです.発することも受け取る事もヘタクソで、コミュニケーションが上手く出来ない、自分を語れないことの結果じゃないかって.なんだか、バベルの塔みたいな気がするのですよ.言葉が通じない! 自分の思いを伝えるための通信手段としての言葉が機能していない.ごくごく狭い身の回りの友人とはなんとなく通じる言葉で話せても、世代を超えて通じる言葉を持たない.会話が成立しない.子供の世界だけじゃなくて、大人同士の間でも会話が成立しにくくなってる.

たまに、チャットなんかを覗くと顔文字だけみたいな会話が飛び交ってることがある.あれを見ても思うのです.これって、話すための言葉じゃない、自分を隠すための言葉、ケムに巻くための言葉みたい!! って.話すことを恐れてるみたいな気すらするのです.自分をさらけ出さずに他人を覗き見たいって…

若い人たちは背伸びをしたいってこともあるだろうし、そういうことも分かるけれど、やはり、自分から語ることが先.ちゃんと語る・ちゃんと聞く、その事を抜きにして人間関係は成り立たないと思うんだけどな.自分を語ることを恐れていたんじゃ何にも始まらない.きちんと語ろう、きちんと聞こうとするその中で、初めて言葉は洗練されて、機能し始めるものだと思うのです.で.その事が自分の人間関係を形成する.やっぱり言葉をどのように使いこなせるか、伝えたい事を伝えるための語彙を自分の中に蓄える努力って、とても大事な事なのではないかと思っています.

もっともウチでは、私がおしゃべりのせいか、猫すらお喋り、なんですけど…(^^ゞ
こりゃ、関係ないっすよね…あはは.


2002/01/

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 チューリップ・その後 2002/01/30


夕べは色々ニュースがありましたね.大橋巨泉サンが参議院議員を辞めるってこと.NGO参加拒否問題でもめていた真紀子サン、外務省の髭の野上サンが更迭、もう一方の宗男サンは辞任.雪印は更なる改竄が次々発覚.総務省の発表で失業率が5.6%…

NGO問題では、宗男サンが「お上に反対するNGO…」と発言したり、真紀子サンは涙ぐむし、それに対して小泉サンが「オンナの涙は最大の武器、泣かれると男は太刀打ちできない」なんて発言するし、なんでしょうねぇ〜〜〜.もうイヤになっちゃう・・・

雪印の一連の騒動では、やはり私たちは日常何を食わされてるのか? って.でも、考えてみれば、頼るものは自分の五感.産地表示や賞味期限なんかに頼っちゃいけないってことかも.食っても良いのか悪いのか、自分で決めるしかないよね.

なんだか、あらゆる事が信用ならないのよね… あぁ〜〜〜あ こんな事で、経済が上向くなんて期待、持てないよぉ.長いものには巻かれろ、で、見識も持たずに二転三転.常識・道徳・武士は食わねど高楊枝で保っている矜持なんて、みんな裏切られていくんだから.あはは、だよね.

で、すっかり憂鬱な気分になって外に出て、見ると、暮れにプランターに植えたチューリップはしっかりした芽が芽吹いていました.庭の梅も咲き始めています.
そうだよね、人間社会とは別に、自然界はもう春に向かっている.まぁ、せめて、それだけでも喜びと受け止めますか.
ご覧になって、春の匂いを感じて下さいネ.



芽吹いたチューリップ 紅梅

2002/01/

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