昨日は町内の運動会でした.今年は回り持ちの隣組の役員なので、朝8時からお世話係・・・
天気予報では雨、気温は29度だって言っていたから、流れるかな? 流れなくても曇りで涼しいからいいかな? って思っていたんですけれど、とんでもない・・・朝のうちは曇っていたのですが昼前から晴れて気温は33度!! まいった〜〜〜
私は、足の爪がない状態ですから、もっぱらテントの中で、麦茶を作って振舞う係でしたけど、隣組も高齢化が進んで選手として出る人がなかなかいないので、負傷していなかったら走らされるところだったわ・・・
皆さん、出る前は「適当にやれば良いよね〜」なんて言っていても、いざ始まると目を三角にして走ってる!!
やっぱり、子供さんが小学生くらいの若夫婦のいる隣組は強いよね〜 その点ここの隣組は・・・あははは、ですぅ〜〜 まぁ、ビリに近い・・・
麦茶の番をしていたら、小学校4年生くらいの男の子がやってきて、「麦茶、くれ!」だって〜〜
「くれ! じゃないでしょう? 麦茶、ください、でしょう?」 って笑いながら言ってやったのよ.そうしたら、一瞬きょとんとして、それからちょっときまり悪そうにニヤニヤ笑いながら「麦茶、ください!」 って言い直したの.
「あら〜いい子ね〜〜 おうちでもお母さんに、そう言わなくっちゃね〜〜 ハイ、麦茶大盛り!」
「うん!! ありがとう!」
あはははは、まだ子供だネ.素直なこと〜〜 なかなか可愛かったよ!
2時過ぎに運動会は終わりになって、いったん帰宅.シャワーを浴びてから今度は5時からの慰労会の支度で自治会館へ.
男性諸氏はこれが一番楽しみらしくて・・・焼き鳥やらお刺身やらなかなか豪華なメニュが届いておりました.お酒も一杯で.
それで7時まで.その後男性陣は2次会に繰り出して、女性陣は後片付けして、といっても紙コップや紙のお皿でしたからゴミ袋に入れるだけでしたけど・・・
帰ってきたらやはり疲れて、そのまま10時まで居眠り.いったん起きたけど、11時にはまた寝てしまいました.
だから今朝は5時に起きちゃったの〜〜 朝が長いよ・・・
9月になってから暑い日々が続いています.でも、お米には間に合わないのでしょう・・・ 今年の冷夏、作物には影響が出てもう野菜はだいぶ高値ですね〜
ネットをしていたらエラー表示が出ました.エラーが出たのでインターネットエクスプローラを終了いたします、って.
そういえば、一昨日も出たな・・・ このところ時々・・・ 何でだろう??
と、いろいろ考えていたら思い出したことがあったの.HPで借りているサーバからのマガジンに載っていたソフト、面白がってインストールしたっけ〜〜 それからのことみたいな気がする、エラー表示が出始めたのは・・・
たいしたソフトじゃない、デスクトップに常駐するインターネットペットってヤツよ.キーボードを使ったりクリックしたりする回数で成長するんだって.成長するとしゃべったりもするらしい.どこかへ旅行に出かけて友達を連れて帰ってきたりとか.今のところは入れたばかりだからほとんどどこにいるか見えないくらい小さい・・・
ま、ハードディスク容量も増えたことだし、デスクトップにそんなのが1匹いても良いじゃない、とばかりに入れたんだけど・・・
急にエラーが出始めた直前にしたことはそれしかないなぁ…
だから、それが原因かどうかはわからないけど、アプリケーションの追加と削除から削除してしまいました.本当を言うとそういうのってさほど興味はないし、面白がって入れただけで、どのくらい育ったかしらと探してみることすらしてないんだから.入れたことすら忘れ気味ですもん.
これでエラー表示が出なくなるかなぁ? 出なくなると良いけど・・・
ま、あんまり不必要なソフトはインストールしない方が良いよね.必要なことをしているときに出るエラー表示ほど嫌なことはないもんね〜〜 エラーは仕事のときだけで十分すぎるくらいだわ〜〜 あははは
エラーと言えば、ガラス胎、ようやく解決いたしました.やれやれです〜〜 焼成終わって3日経ちましたけど割れが来ていませんからそろそろ研磨し始めようと思っています.
今度東京に行くときに持っていって、長谷川先生とデータ交換の予定です.
先月は一ヶ月それでバタバタと終わってしまいました.とてもいい勉強でしたけど、疲れたよ〜〜〜(;・・;)
土、日と東京に行って、ただいま帰宅したところです.
久美ちゃんの上京に合わせて、私も、例の四苦八苦したガラス胎のデータを長谷川先生にお渡ししたかったし、ちょうど長谷川先生の二つの個展の真っ最中でもあったので、行ってきたのです.
午前中に着いて、ホテルに荷物を預けてから、ちょっと買いたい道具もあったので、2時までの間は道具探しをして購入.2時にホテルのロビーで久美ちゃんと落ち合って、チェックインを済ませてから、銀座の個展会場へ.
そこで長谷川先生にデータを渡して、状況の説明.飾り付けの真っ最中でお忙しそうでしたから早々にそこは切り上げて、もう一箇所の方の個展会場へ行って、ゆっくり拝見してきました.
その後「銀座ライオン」で、ビールを飲みながら夕食を済ませてから、T.K氏と待ち合わせている「シャンソン・ド・マヤ・ルエル」へ.
ルエルは市谷の外堀公園に面したところにある小さなシャンソニエです.T.K氏の行きつけのお店.
他には全くお客さんのいない貸しきり状態で、まぁ、盛り上がりっぱなし〜〜
3人とも、大学時代の文芸部仲間ですから同窓会気分、いろいろ思い出話に花が咲いて・・・ でも、人の記憶って、マチマチですよね.
こっちが覚えてることが全く記憶になかったり、その反対だったりして・・・
シャンソンの「百万本のバラ」と、「切符切りの唄」の話で大盛り上がりしたけど、この話の中身は内緒!!
久美ちゃんのお土産明太子で、ウィスキーのボトル半分と、日本酒の1升ビンを半分以上空けちゃった!! 勿論3人で、ですけど.(^^ゞ
それに、三十数年の付き合いにもかかわらず生まれて初めて、久美ちゃんの歌も聞いちゃったの!若い頃は唄なんてうたいに行ったりしなかったもの.勿論シャンソン.彼女の声はシャンソンにぴったりですごくよかったよ!!
で、帰り道は、T.K氏が案内してくれて散歩がてら歩いてホテルまで.
途中ガードマンらしき人たちが道端に何人も立っておりました.あらら、何かあったのかしら? 何だか物々しくて・・・
「何かあったんですか?」と訊ねると、通常の勤務みたいな話でしたが、すかさずT.K氏が、「あ、僕たちを警備してくださってるんですね! ご苦労様です!!」
ガードマンの若いお兄ちゃんは、おじさん、おばさんの勢いに押されて、「はい!」ですって〜〜〜
だから、「おぉ〜〜 ありがとう〜〜」なんていいながら、お堀端の遊歩道を遠回りしてよろよろと3人で帰ってきました.
ホテルに着いたら1時過ぎ! (^^ゞ
今日は上野公園へ行って、美術館でも入ろうかと思ったのだけど余りの人込みに挫折して、散歩しただけでした.でも、久しぶりの彼女とのおしゃべりを、堪能しましたヨ!!
ルエルで撮ったマヤさんとT.K氏の写真、お二人ともとてもチャーミングに撮れていて、ここに載せたいけど、まだお許しをいただいていませんから、今日はお店の中の写真だけ…
ルエルのURLです.興味のある方は行ってみてください.なかなか趣のある、何だか懐かしいような素敵なお店です.
RuelleのHPは、ここからどうぞ.
今日は、ちょっと飲み会があって出かけておりました.その帰り道、見上げると本当に月が綺麗.あ、十五夜まで後二日か・・・などと一人ごちて眺めていると、その下に大きな星が見えました.
あの大きさからすると、ひょっとすると火星かしら? と思いつつ帰宅.その後、TVニュースで、今日は月と火星との大接近だったことを知りました.
帰り道に見上げた時よりはもう離れているみたいですけど、庭に出て、デジカメで撮ってみました.
子供のころは、三方にお団子を積み上げ、野菜や果物をお供えして、ススキも飾ってお月見をしておりました.私も浴衣などを着せられて、子供心に楽しみなものでした.
上新粉を練って母が作るお団子・・・今に比べると本当に暮らしは質素で貧しかったけど、何やら感謝とやさしさとに満ちて、優雅なひと時がちりばめられていたような気がいたします.
台風14号が近づいてきているようですから、明後日の十五夜はどうなりますかしらね?
ススキとお団子でも飾って、お月見したいと思っているのですけど・・・たまには感謝に満ちた優雅な一時でも過ごさなくっちゃね!
遅い朝食を食べながらTVを見ていたら、56歳の男性が介護に疲れ果ててご両親を殺害したと言うニュースが流れました.その男性はご両親の介護のために仕事もやめて、7月から家族とも離れて、ご両親の家に住み込んでいたということでした.
ご家族の協力は得られなかったのかしらね?
一人で、二人の老人の介護など、所詮無理な話だよ・・・しかも50代も半ばを過ぎたら自分の体力も驚くほど落ちてきているのだし.
いろんなことを考えちゃいました.ご家族の協力を得られない程度の係わり合いしか、長い家族生活の中で築いてこれなかったということなのかしら・・・
私も、主人の両親、私の母、そして主人と、4回の介護生活を経験しています.でも、いずれも癌で、はじめから終わりが見えていた・・・終わりの見えているつらさ、やりきれなさも確かにあるけど、終わりの見えないつらさ、やりきれなさというのもまた別な思いがあるのでしょうね・・・
肉体的な部分にもせよ、精神的な部分にもせよ、為す術もなく、壊れていく人を見ている自分自身の精神的な葛藤というものは、多分経験者でないとわからない苦さに満ちたものかもしれません.その上に自分の中に蓄積していくどうしようもない疲労感とも戦わなくてはならない.
悲しんで涙を流している余裕すらも全くない日々でしたけどね.でも、殺すってのはね・・・
一人で抱え込んじゃいけないよね.人間なんてそんなに強靭なものじゃない.肉体も精神もそんなに強靭に出来てるものじゃない.やっぱり誰かといろんな意味で支えたり支えられたりしながら、やっとの思いで何とかできるものだと思うのよね.
つまりは築き上げた人間関係に他ならないのかも・・・直接の手助けにならなかったとしても、よ.
あの頃、実に多くの人たちに精神的に支えていただきました.本当に感謝しています.今更ですけど、ありがとう〜〜
などと考えながら、見上げると、今日は十五夜.さっきまでは十五夜の月が煌々と光り渡っていたけど、今は厚い雲に遮られています.台風のせいか、まぁ、蒸し暑い夜です.
裏山のススキを取ってきて飾りました.お団子は出来合い、それに三方も省略だけど・・・(^^ゞ
このところ、ちょっと夏バテ気味でした.9月に入ってからの猛暑がたたったのかも・・・
一昨日なんか丸一日胃痛で、胃カメラでも飲みに行こうかしら? なんて思ったくらい.一日で治りましたけどね〜 (^^ゞ
8月末に巻き爪を抜いて以来、太極拳をさぼってしまっていたので、多分運動不足も一因かも.
今日はちょっと久しぶりにお結びでも持って山歩きしてこようかしら? と思っています.帰りに温泉で一汗流すのもいいかも〜〜
爪の方はおかげさまで順調に回復して、まだ生えてはいませんけれど、運動の許可も下りたし、来週からは太極拳も始めるつもりです.体調を崩すと、精神状態も下降しますしね.ロクなもんじゃない!
ちゃんと食べて、ちゃんと運動.これが明るく陽気にいられる秘訣だもんね!!
さて、これから、山歩き、行って来ますネ!
一昨日、ネットでグレン・グールドの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ、アパッショナータの入っているボックスセットを見つけて注文を出したら、台風の大雨の中を、もう届きました.グレン・グールドは、好きなピアニストのうちの一人なのです.もっともバッハの演奏者として好きだったのですが・・・特にグールドの演奏するゴルトベルグ変奏曲や二声と三声のインヴェンションなんか、大好きなの.そのグールドが、ベートーヴェンのアパッショナータをどう演奏しているのか、と、興味津々で、早速聞いてみました.
でもって、まぁ、びっくり・・・
私が聞きなれているアパッショナータは、S.リヒテルの演奏なのですが、全く別物といっても良いほどに違う・・・
第一楽章なんて、リヒテルの演奏時間が10分余りなのに対して、グールドの演奏時間は15分.第二楽章がリヒテルの6分に対して11分.はじめのうちは違和感がどうしようもなかったけれど、二度、三度と聞いているうちに慣れてきました.一つ一つの音に対するこだわり・・・その音の明晰さに満ちて、やっぱりこれはグールドの演奏だ・・・
解釈の相違ってヤツですね.
多分、この分で行けば、ベートーヴェンさんの頭の中で鳴り響いていたアパッショナータは、また全然別なものだったのだろうな、って・・・それを聞いてみたいけど、そりゃ無理だ・・・
ピアノの音質も今のピアノとは全然違ったのでしょうしね〜 まだ、ハープシコードから発展して弦を叩く形になってやっとペダルが出来たばかりの頃でしょう? モーツァルトの楽譜にはペダル記号がないって聞いたことがあるし.ベートーヴェンの晩年が、ピアノが現在の形になりかかった頃と一致するんだし.彼のアパッショナータは、きっと私の感じているものとは全く違ったのかもしれませんね.
私は、音楽はからきしで、音符もロクに読めない人だからもっぱら聞く一方なんですけど、やはり楽譜というのは抽象的な記号で、演奏家がそこに自分の解釈を盛り込むことで、それぞれの演奏が成立するものなのでしょうしね.それにしても、この違いは・・・
アパッショナータは若い頃から大好きで、ケンプやバックハウス、バレンボイムなんかの演奏も良く聞き比べていましたから、解釈の相違ってやつは知っていたけど、これほど違うとは〜〜後は好みの問題になるのでしょうね.演奏家の数だけのアパッショナータがあるってわけだ・・・
これから、テンペストを聞き比べてみようと思っています.今日はベートーヴェンのピアノソナタ三昧の一日になりそう・・・
また、腰を抜かすほどびっくりしちゃうのかもね〜〜(^^ゞ
昨日、「さんらいふ」という、朝日新聞系列のタウン誌から、取材したいという電話が入りました.
で、夕べは、お稽古を終わってから大掃除〜〜〜 ゴミ箱状態のところへ、どうぞ! ってわけにはいかないもんね・・・
ここのところ、すっかり汚くしてたからバチがあたっちまった〜 タイヘンだったよ〜〜(^^ゞ
で、今日の午後2時に、記者さんが見えられて.どなたのご紹介でいらっしゃったのかしらと思って聞いてみたら、今年の、豊田町・香りの博物館での展覧会を見てくださった“さんらいふ”の編集長から、七宝の印象が変わるから是非取材に行って来いと言われたんですって.ありがたいことです〜〜 (^o^)/
2時間ほど、七宝の話や、七宝の歴史について、とか、作品制作の話とか・・・いろいろお話いたしました.
最後に、作品と一緒に写真を撮っていただいて・・・「はい、笑ってください〜」なんて言われても、なかなか、顔が引きつるだけで笑えるものじゃないよね〜 役者さんってたいしたもんだ、カメラの前で泣いたり笑ったりできるなんて・・・などと考えておりました.
“さんらいふ”は朝日新聞の折込で、30万部、県内に配布されるんですって.これで、少しでも七宝に興味を持ってくださる人が出てくるかなぁ?? そうだと良いけど・・・
七宝のイメージって、アクセサリーばっかりだもんね.しかも、高い・色が下品・習っても上手く作れないって、マイナスイメージばっかり持たれてるみたい・・・そんなこと、ないのに・・・だから、それだけじゃない工芸としての七宝を少しでも認識していただければうれしいのだけれど〜〜
それにしても、やっぱりちょっと気疲れしますね〜 緊張してたのかなぁ? 終わりの頃にはすっかり地が出ちゃったけどネ.(^^ゞ
慈恵医大の青戸病院というところで、30代の若いお医者さんが3人、指導医もいないままに初めての「「腹腔鏡下前立腺全摘除術」を行って、患者さんを死亡させ、逮捕されたというニュースが昨日から流れています.
若いお医者さんたちの、見境のない功名心のなせる業なのでしょうけれど・・・マニュアルを見ながら、腹腔鏡のメーカーの技術者を立ち合わせてその人に質問しながら、経験もない手術を経験のない3人で強行したというのは、功名心では済まされない人格的な部分の欠落を想像させることみたいな気もいたしますね・・・人間が壊れやすく繊細なものだという意識が欠けている.なんだか、初めてのゲームに挑戦するような感覚だったのかしら??
お医者様でなくとも、何の仕事にしても、経験の持つ重さには、計り知れないものがあります.順調に進んでいるときは兎も角も、どこかにトラブルが発生したときに、それを補うことができるのは経験に他ならない.経験を積んだものの持つ冷静な対処に他ならないと思うのです.
多分、この3人のお医者様たちも、出血というトラブルに遭遇して、経験のない分だけ慌てふためき、そのトラブルに気持ちを奪われて、脳死状態に至るまで“その状態を回避するための適切な処置”を講ずることが出来なかったのでしょう.
最近の世間では、最新技術の扱いやデータに重きをおいて経験の持つ重みを軽んずる風潮があるような気がします.主人が入院したときも若いお医者さんたちはPCの画面に現れたデータを見るのに忙しくて、ほとんど患者の顔も見ないことがありました.
顔色や様子というのは、医療の上でもかなり重要なデータのひとつだと思うのですけれどね・・・ありとあらゆる検査をするわけには行かないのだから、何を検査するのかという部分はやはり重い経験から来るお医者様の判断でしょう?
七宝で立体を作る時も、やはり経験が足りない頃は、手がけていても完成するかどうかの自信が持てないという時期が長く続きました.釉薬の厚みのムラから来る焼き歪み・・・歪んだことから来るヒビ・・・冷めてくる頃になって貫入のはいる音が響き渡るときの心細さ・・・
経験を積んでくると、先が読めるようになる.トラブルの可能性も予測できるようになる.予測できれば回避できる.
七宝はしくじったら、まぁ、しょうがないや・・・と、捨ててしまえばいいのだけれど、相手が人ではそういうわけには行きませんよね.
生き物としての人を扱うのだから・・・大変なことです.やはり謙虚に経験を積んだ人の教えを請いつつ謙虚に経験を積んでいかなければ到達し得ないことなのだと思います.
それにしても、年配者の「経験」を軽んずる近頃の風潮、その傲慢さは、どこから来ているのでしょうね・・・不思議でなりません.えっ? と思うほどの単純なミスが大きな出来事に発展してしまう最近のさまざまな企業における事故の類も、このあたりにその根があるのではないかしら??
経験を積むためには膨大な時間がかかる.しかも謙虚に費やす時間が、ネ.それを惜しんだら何事も完成しないと私なんかは思うのだけれど.その他者の経験を重んじる謙虚さが、自分の経験の積み上げにつながる、って・・・
安西冬衛の詩に、「春」というごく短い詩があります.
春
てふてふが一匹
韃靼海峡を
渡って行った
たった3行のこの詩は、勿論題名の通りに「春」の詩なのでしょうが、どういうわけか私の中では題名を裏切って、今ごろの季節のイメージに変貌しているのです.(それどころか、昔はかなり長い間三好達治の詩だと思い込んでいたりして・・・安西サン、ごめんなさい.)
丁度、彼岸花の咲く頃・・・日差しが鋭く透明感を増して、真っ直ぐに落ちてくる頃.
海の色が、緑がかった曖昧な色から碧色に変貌する頃・・・この頃になると、私は決まってこの詩を思い出すのです.
“韃靼(だったん)海峡”って、“間宮海峡”、或いは“タタール海峡”とも呼ばれる、樺太と大陸の間に横たわる海峡.
そこを、一匹の蝶が、羽を煌かせながらひらひらと渡っていく・・・その羽に降り注ぐ日差しは透明な秋の日差し・・・
安西冬衛は、妻子もなく放浪の末に片足を失い、辿り着いた韃靼海峡で、この詩を読んだ、と言われているけれど・・・でも、実際のところはちゃんと結婚もして2児を得ているわけで.
この詩を漂白の果てに海峡に辿り着いた隻脚の詩人の作と考えようが、史実どおりに大連に停泊中の軍艦の砲塔で飛び立つ蝶を見て詠んだ作なのであろうが、ある意味でそれはどちらでもいい.
私の中には、海峡を渡る蝶の、頼りなげではあるけれども毅然とした煌きに満ちたイメージがある.渡りきることができるかどうかも分からない海峡へ、毅然と羽を広げる蝶のイメージが・・・
本来は、可憐な蝶が、軽々と海を渡っていくという生命感への感動に満ちた詩なのだろうが・・・たしか、学校の授業でもそう教わったような覚えがある.私はへそ曲がりだ.“生”よりも“死”のイメージを見てしまうなんて! (^^ゞ
庭の咲き残ったランタナに、アゲハチョウがやってきています.夏の盛りの頃にはたくさんの蝶が群れをなしてやってきました.
秋の気配が濃くなると、蝶の数も日毎に減ってきます.最後に残った蝶は、ただ一匹で毅然と韃靼海峡を渡るのでしょうか・・・
柿の実も、ほんの少しですが色づいてきました.今年はずいぶん沢山実っています.