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以前、「読書日記」辺りに書いた覚えがあるのですが、西行の
ねがわくば はなのもとにて春死なむ そのきさらぎのもちづきのころ
と言う歌の「きさらぎ」を、如月つまり2月と解釈するとその花は桜では有り得ないんじゃないのか、と・・・
それに関して友人のK氏が、「きさらぎ」は「如月」ではなくて「生更ぎ」 つまり草木が再生するの意だということを教えてくれました。うんうん、それなら納得がいくよね。草木の再生する春のはじめ、「生更ぎ」
更に踏み込んで、めぐりめぐりていまだ更に生き続けている自分がある・・・ と、そこまで考えるといかにも西行的な孤独だ・・・
明日は父の祥月命日です。お墓にでもおまいりしてこようかしら・・・
きっと桜も満開でしょうから。
お教室展の真っ最中です! 去年までは早めに帰っても画廊主が最後まで画廊にいてくれたのですが、今年は帰るというと画廊を閉めてしまうので早帰りが出来ずに、かといって生徒さんたちは皆さん主婦ですから結局のところ私が最後まで居残る羽目になって・・・
で、今日も居残っていたら6時頃にセラピストをしていらっしゃるフロイト氏が来て下さいました。
おぉ〜〜これぞまさしく神のおはからいとばかりに、お茶を飲みながら不登校児のNちゃんのことを話してみました。
私もいくら長く子供たちの勉強を見ているといっても今回のこの経験は初めてのことで、やっぱりおっかなびっくりの部分があるわけで、無責任にいろいろするわけにもいかないし、私の判断や行動が果たして正しいものやらどうやら確信が持てずにいるわけですよ。
とにかく危うい「こわれもの」に等しい繊細な子供を見ているわけですから、このところの数ヶ月の悩みの種なワケで・・・
そうこうしているうちに7時になって、ついでだからと場所を変えて夕食をご一緒しながら9時過ぎまで話の続き。やっと少し確信をもって動いてもいいかな? と・・・
月に1回、フロイト氏の恩師が主催している専門家の勉強会が静岡であるというので、もぐり込ませていただくことに致しました。ついていけるかどうかはわかりませんけれど、邪魔にならないように隅っこででも、勉強してみようかと思っています。
この歳になっていまさら、とも思うけれど、フロイト氏にきっとできるよ、是非参加して、と励まされて、月に1回なら自分の仕事の犠牲にするほどのことにはならないだろうしとお調子者が調子付いて・・・ (^^ゞ
でも、まァ、いまさらセラピストになろうなんて思っているわけではないけれど、体系的に勉強することは悪いことではないでしょう? どこまでやれるかはともかくがんばってみようかしら? ま、勉強は最大の道楽ですもんね〜〜
そういった意味で、本日は有意義な一日でした。家に帰ると頼んであったブラームスの弦楽六重奏曲のCDは届いているし!!
疲れたけど、居残っていてよかった!!! と、心から思っている次第です。
アトリエ展もおかげさまで無事終了いたしました。ご覧くださった皆様、ありがとうございました! 心よりお礼申し上げます。
アトリエ展真っ最中の4日ほど前のこと、夜に翔太が野鼠の子供をくわえて帰ってきました。体長5センチもないくらいの子ネズミです。
慌てて、くわえている翔太ごと抱き上げて外に出そうとしたら、ぽろっと落ちて、子ネズミが走り出します。翔太がそれを追いかける・・・ 前足で押さえ込んで・・・ また逃がして、まるで運動会です。翔太にとっては獲物というよりおもちゃなのかも。
いくら子ネズミとはいえ、素手で掴むにはためらいを覚えて軍手を取りに行っている隙にどこかにもぐりこんだらしく行方不明に・・・
あらら、翔太、責任を取ってよね! 早く捕まえて何とかしなさいよ〜〜
それから3日間、その子ネズミはあろうことか我が家に棲みついてしまいました・・・ (ーー;)
時々チョロチョロと現れては翔太の餌入れのドライフードを食べているの〜 まるでリスのように両手でえさを持ってかじっている様子は何とも可愛らしい! こりゃ、困った・・・ 情が移っちゃうじゃないの!
翔太も、最初のうちは追い掛け回して押さえ込んだりしていたのですが、殺す様子は更々なくて、夕べなんかは何だか遊び相手と黙認しているみたい・・・とんだ「トム&ジェリー」です。
ならば私が、とばかりにいつも手元に軍手を置いて待機しているのですが、そのすばやいこと。追いかけて角を曲がったとたんに消えちゃう!
本棚の裏、PCの裏、台所では食器棚や冷蔵庫の裏と隠れるところには事欠かないわけで。
でも、やっぱり不潔だしね。ネズミはいろんなウィルスを媒介することだってあるのだから何とかしなくっちゃ〜 こんなに日数がたつとどこかでウンチだってしているでしょうに。
でも、エサを食べてるところをしょっちゅう見ちゃっているから、猫いらずをまいたりゴキブリホイホイを仕掛けたりなんてことにはためらいを覚えて(ア、ア、アホや〜私・・・)
そうしたら、先ほどまた現れて翔太の餌入れに入り込んで、こちらに背中を向けてエサを食べ出した。お、今だ〜 隙あり、だな・・・
で、エサ入れの上に椅子に敷いてあるクッションをばさっと被せたの。おーー大成功!!!
エサいれごと外に持ち出して、庭の茂みのところで座布団を取ったら、一瞬きょとんとした表情を見せてから慌てて脱出。カサカサと茂みの中を逃げていきました。ほっ!
もうちょっとゆっくりお食事をさせてあげた後にすればよかったかしら? なんて、またまたアホなことを考えたり〜
さて、今日はちょっとネズミが隠れていた辺りを大掃除しなくっちゃ〜〜 (^^ゞ
ご無沙汰ばかりしておりました〜
何しろ、アトリエ展が終わって以降の残務整理。生徒さんから参加費を頂戴していますから会計報告書を作って印刷したり、芳名録にご記入くださった方へのお礼状を作って宛名書きして発送したり、会場で別口にご注文をいただいたアクセサリーやらを作ったりそれをお届けしたり、その合間に連休中に予定してある佐野美術館でのアクセサリー講習の準備をしたり。釉子會WEB展もアップしました。ご覧くださいませ。
やってもやっても次から次だわ・・・
佐野美術館の準備、これがまた大変でした。一回定員が15人。恐らく全くの初心者ばかりでしょうから、最初から全部やっていただくことにすると多分一人じゃ面倒を見きれな可能性があるわけで、確実に仕上げてお帰りいただくためには下焼きをしておかないといけません。
で、余分を見て100個ほどアクセサリーの下焼き。それを一つ一つ袋詰めしたり、少しでも素敵に見えるようにペンダントにはビーズ加工を付け足したりと、大忙し。
まァ、そっちの方も完了して、後は参加者に配るテキスト作りだけ。
せっかくご参加いただくのだから、ちょっとは七宝の歴史的な背景とかもお勉強していただいて七宝への興味を広げていただきたいしね〜 ま、これは本日仕上げちゃうつもりです。
早いところ終わって、今年の作品のデザインにも取り掛かりたい・・・
何しろ悪い癖で、作品に関しては何かの合間にということが出来ないのよね。何かをしながらだと集中できないわけ。だから、全部片付けてから、と思っているのだけれど。
早く取り掛かりたいよぉ〜〜〜!!
さて、そのためにはテキスト作り、がんばっちゃわないと!
8時に帰宅したら、頼んであったCDが届いていた。
ブラームスのクラリネット・ソナタ 1番・2番、演奏はレオポルド・ウラッハのクラリネット、イェルク・デムスのピアノ。
このところ、ブラームス晩年のクラリネットの作品ばかり聴いている。晩年といってもほとんど今の私と同じくらいの年齢なのだから、そのことがこう気分にすっきりとはまってくる理由なのだろうか?
静かで毅然とした諦観に満ちた曲だ・・・ 老いて行くのも悪くはないという気分になる。心に滲みてくる。
今日はまた、友人から、アファナシエフの演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集のCDをいただいた。
平均律クラヴィーア曲集はグレン・グールドの演奏のと、リヒテルの演奏のとを持っているのだけれどそれらとどんな風に違うのだろう? 楽しみではある。今のクラリネットソナタを聴き終わったら聴いてみるつもりだ。
このところ、疲れることばかりが続いていたから、今夜はゆっくり音楽でも聴こう・・・
中学生や高校生が引き起こした事件が立て続いている。中津川の殺人事件、授業中にイヤホンで音楽を聴いていて怒られてむしゃくしゃしたので独居老人を撲殺してしまった和歌山の高校2年生、みんなが同じことをしているのに自分たちだけ怒られて平等ではないので先生に優しくなって欲しいと先生の給食に抗鬱剤を混入した女子中学生・・・
なんとも言いようのない唖然とするような事件ばかりだ。
子供たちをめぐる状況は一体どうなっているのだろう。廃墟となったパチンコ店でたむろする中高生たち? むしゃくしゃしたから誰でも良かった、めちゃくちゃに殴った・・・?
机の落書きをとがめられ、とがめた先生に優しくなって欲しかった??? 不眠に悩まされた中学生がネットで抗鬱剤を購入する? それを友達に分ける??
一体、どういう育てられ方をしたのよ?? 一番基本的な「して良い事と悪い事」の区別が全くついていないなんて、家庭はどういう役割を果たしていたのよ? これって、あまりに基本的過ぎて学校の責任じゃないでしょうよ。
昨日、ある家の前で母親が子供を怒鳴りつける声を聞いてしまった。一瞬立ち止まって耳を澄ませてしまうような怒鳴り声が道まで響いて聞こえてきた。
以前にも何度かその家の前で同じような怒鳴り声を聞いたことがある・・・ その時は子供の泣き叫ぶ声も一緒に聞こえていたのだが、昨日聞こえてきたのは母親の怒鳴り声だけだった。
あぁ、子供は慣れっこになってもう聞き流しているのだろうか? 確かあの子は小学2年生のはずだ・・・ あの声は「しかる」行為には程遠いな。たんに感情をぶつけてヒステリックに叫んでいるだけなんじゃないだろうか。ああいうしかられ方をして育った子供はどうなっちゃうんだろう?
私は決していわゆる「いい子」ではなかったのだけれど、ああいう怒られ方をした記憶はなかったよ。もっと論理的に諄々としかられた・・・ そのせいか、感情的になることはある意味で恥ずかしいことだと思っているところもあるわけで・・・
「一度口から出した言葉はもう取り返しがつかないのだからね、ちゃんと脳みそを経巡らせてから口に出しなさい。」と、これが母親の口癖だった・・・
大人も子供も、今の時代、至極感情的なような気がする。後先の見境がつかないという言葉がすっぽり当てはまるくらい感情的なのだろうか? 感情的であることを恥じる事はないのだろうか? 自省するということはないのだろうか? 自分の感情だけを常に優先して恥じることはないのだろうか?
一昨日書店に入ったら、「国家の品格」が平積みされていた。その横にやはり平積みになって新渡戸稲造の「武士道の精神」やらそれに絡んだ書物が沢山置いてあった。
あー 日本人はいつも右から左に大きくスタンスを移して恥じない民族なんだ、と、それはそれでなにやら苦々しい・・・ 大人たちが背骨を失って既に久しい・・・
世間では大型連休の初日だというのに、朝から檻の中のクマさんよろしく、ウロウロと部屋中を歩き回っています。つまり、デザインを始めたわけ・・・
分割線は出来上がり、そこにどう図柄を当てはめていくか・・・ 回転台の上に分割線の引かれた作品が乗っています。隣にはスケッチブックが広げてあり、その周りをさっきからウロウロと歩き回っているわけです。
こういうときはバッハが一番だから、部屋中にリヒテルの演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集が鳴り響いている。3枚組のうちの2枚目だ・・・
少しモヤモヤと頭の中に全貌が浮かび上がってくる。
問題は図柄の当て嵌め方じゃない、背景の処理だ。どこに箔をどのようにあしらうか、それは色彩と表裏一体なのだから・・・ 朝から大分歩いたな・・・ (^^ゞ
一番苦しくて、一番喜びに満ちた時間なんだろうけれど、全くのところ必要なのは完全な孤独だけ・・・