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ポストを覗いたら、喪中欠礼のはがきが入っていました。
私たちの年齢はそろそろ親御さんも80歳を過ぎている頃だから、11月も末になるとそろそろそういうはがきが舞い込み始める・・・ 誰だろう?
裏を返してみた所・・・
そこには差出人として女性の名前が書いてあり・・・
苗字は見覚えのある、九大時代の文芸部での先輩の苗字だ・・・
え? 奥様の名前が差出人だということは、津上さん、亡くなったってこと?
文面の中には故人の名前は記載されてはおらず・・・ だけど他には考えようもないわ。
一瞬呆然となってしまいました。一年先輩で、確か誕生日も私と数日違いだったはずだから、まだ58歳だ。
津上さんには、久美ちゃんや赤塚君と共に随分可愛がっていただいたのです。
それも特に私は何だか不思議なご縁で、当時、彼の恋愛が破綻をきたす時に、どういうわけか私はいつもそれに出くわしてたっけ〜〜
一番初めは私が入学したての頃。「明日は落とすわけには行かない試験があるから、オマエ、朝、下宿に電話してくれ!」と頼まれて、電話したら下宿のおばちゃんが「呼びに行ったけど返事がない。」とのこと。
で、心配になって学校の近所だった彼の下宿まで出かけていって・・・ あれま、ドアには鍵がかかっていない・・・ 声をかけながら開けて中に入ってみると・・・
彼はまだ押入れの中に半分入った布団の中で熟睡中で・・・ 正面にかかっていた鏡には口紅で書きなぐった「Good Bye!」 げ、夕べは彼女が来てたので起きれないと困ると思って私に起こすように頼んだわけか〜 振られたんだな・・・
あれま! 何だか見てはいけないものを見てしまったようで、たたき起こすだけ起こして、そのまま何も見ない振り、気付かない振りをしてそそくさと戻ってきたものです。
その後、3年間のうちにそれに類したことにあと2回ほどぶつかり、そのたびに、オニコ! 自棄酒に付き合え! と・・・
結局のところ、彼は高校か中学の頃の同級生の初恋の女性と再び出会って結婚したと聞いていますけれど。
そんなこんなで、彼が卒業する時に、あの頃は就職も引く手あまたの時代でしたから、随分あちこちと就職試験を掛け持ちで受けて、旅費の支給でかなり儲けたぞ! と、福岡の料亭でふぐ料理のコースをご馳走してくれました。あの時一緒にご馳走になったのはやっぱり久美ちゃんと赤塚君だったかしら? どういうわけか私たち3人をまるで弟や妹のように可愛がってくれていました。
大皿に盛られたふぐ刺しを前に、ふぐ刺しの食い方、知ってるか? ふぐ刺しはな、面白い話をしながら食うんだぞ。で、みんなが大笑いをして箸が止まった隙に箸を差し込んで自分の皿にごそっと取っちゃうんだ! なんて・・・
卒業後には数回、久美ちゃんと一緒に東京でお会いして一緒にお酒を飲みましたっけ。
その時、詳しくは話さなかったのですが子供さんが難病にかかっていて、奥様は子供さんと一緒に長崎大学の付属病院に行っている、と言っていらっしゃったけれど。
私たちも詳しくは問いたださなかったのですが、奥様も彼も長崎のご出身で、ご両親は被爆しており、子供さんはもしかしたら被爆三世だったのかもしれない、と思ったりもしたことがあります。その後どうなさったやら・・・
今夜あたり、久美ちゃんに電話してみようと思っています。
私たち団塊の世代はどうやら長生きできない世代なのかもしれませんね。文芸部時代の友人はもう4人が故人になってしまっています・・・
今夜は電話でもしながら、ちょっと飲もうかしら?
キジトラ猫は一番野性味が強く残っていると聞いたことがありますが、やはり本当のようです。
新参者のキジトラ、マルは近頃大活躍中・・・
お膝大好きの甘ったれでもあるのですが、まァ、好奇心が強い猫で、その上器用。軽い引き戸は前足で開けるし、でも閉めない・・・ だから洗面所の引き戸はいつも10センチくらい開いている。洗面所に隣接した納戸のドアは重いので閉めておけば大丈夫なんだけど、つい閉め忘れていたりすると洗面所から納戸に侵入。棚の上のバッグやら何やらを盛大にあちこちにバラ撒いて、そのくらいならまだいいのだけれど、最近はもっぱら「狩」に熱中していて出かけるとお土産を持って帰ってくる!
しかも、ありったけイキのいい状態で持ち込むのだからもう大変!
夕べもPCの前に座っていたら、キイキイ、チチチと、なにやら切羽詰ったような声が聞こえ、「げ、今度は何を連れてきた?」と行ってみるとモグラの子供が置きっぱなしにしていた空き瓶と壁の間に鼻先を突っ込んで震えている・・・
マルは突き上げたお尻をプルプル揺すって今にも飛び掛らんばかり。
あれま、可哀相に。で、モグラを捕まえて山の方まで戻しに行って、振り返るとマルがついてきている。だからモグラを放してマルを抱き上げて帰ってきたのだけれど。
で、今朝6時半。今度はキィーッキィーッとすさまじい鳴き声が飛び込んできて、あの声はヒヨドリだ〜〜 慌ててパジャマのままで玄関に飛び出してみるとマルが横様にヒヨドリを咥えて意気揚々と帰ってきたところで、そのままリビングに駆け込むとポトリと落とした。
さァ、大変! ヒヨドリはすわっ! とばかりにリビング中を飛びまわり、壁に激突するわ、怖さのあまりウンチはばら撒くわ・・・
私は私でリビング中を走り回って窓を開けてまわり、ヒヨドリは飛び続け、マルは本棚を駆け上り、出窓からダイビングしてはヒヨドリを追いかけ続ける。おぉ〜〜とんだサバイバルゲームだ! おかげで一挙に目が覚めちまった!
幸いなことに程なくヒヨドリはベランダの窓から脱出。半分傾きながら飛んで行った。
あァ、ヒヨドリはこれで2回目だ。家中は、けっこう毛だらけ猫灰だらけ、ってなところで。
マル、オマエは猫大学の優等生だね。これなら多分私よりも長生きしちゃっても自立できるねぇ、良かったよ・・・ などと窓の開いた寒い部屋でマルを膝に抱き上げてわけのわからないことをつぶやいてしまった・・・ あーー朝っぱらから疲れた・・・
先日、手打ちした香合の素地を二つほど仕上げてみました。
何しろ、私が打った素地ですからヘボで、板厚もこれで良いのかどうか、ヒビが入らずに焼きあがるのかどうかの確信が持てないのでとにかく仕上げてみないと、というところなのです。 (^^ゞ
まぁ、3日ほど前に焼き上げて、これなら大丈夫かも、と、研ぎあげてみました。
今のところは大丈夫なようで、今日はyuuちゃんも来て、彼女も素地を一つ仕上げて帰りました。さすが、丁寧な仕事で〜♪
今度のはそのような次第で、出来上がるかどうかの確信がなかったので日誌はつけませんでしたけれど、あといくつか作るつもりですので次からはまた制作日誌を公開しようと思っています。乞う、ご期待!! なーんちゃって。
で、出来た作品の写真だけ、載せてみますね〜 四角い方はさっき研ぎ上げたばかりのホヤホヤです。
先週はちょっと事件勃発でジタバタしちゃって、と言っても直接私に関わることじゃなく相も変わらず他人事に振り回されたんですけどね。それですっかり疲れきっちゃって昨日は一日ゴロゴロして、やっと今日になって仕事に取り掛かろうという気になったところです。
今日は二つほど並行して香合の制作に取り掛かり始めました。といっても本日は下地作りとデザイン。
植線はお正月の暇つぶしかな??
で、また「制作日誌」始めました。よろしければ暇つぶしにごらんくださいませ!
制作日誌・うさぎ文香合へは、ここからどうぞ。
さて、そろそろ夕飯。本日は和ちゃんのところからちらし寿司とおでんが!!
それも、仕事に取り掛かる原動力のひとつで、食事の支度がいらないってのは真にありがたいことでございます〜〜 感謝・感謝!! (^^ゞ
月曜日に、Nちゃんのおばあちゃまがお亡くなりになりました。彼女にとっては心底尊敬し拠り所としていたおばあちゃまの死です・・・
案の定、夜に大泣きに泣きながら電話をかけてきて。ですから、おばあちゃまが今年の春、病気が見つかった時にはもう覚悟を決めていらっしゃったこと、彼女のことが一番の気がかりだから、いろんな意味で支えて行ってやって欲しいと私に頼んでいかれたことを丁寧に話してやりました。彼女なりに感ずるところがあったようでした。
「あなたは、本当におばあちゃまに愛されていたのよ。だからね、明日からお葬式が終わるまでの間、ちゃんと立ち働きなさい。お客様が沢山いらっしゃるわ。ちゃんとご挨拶したり、お茶をお出ししたり、お見送りしたり、年下の従兄弟たちの面倒を見たり、あなたに出来ることは沢山あります。そういうことをきちんとこなすことが、おばあちゃまにとっての何よりの供養でしょう? おばあちゃまが安心して天国に行けるように、しっかりとしていなくちゃダメなのよ、わかる?」
昨日の夕方に、ご町内の方々とご一緒にお線香を上げさせていただきに行ってきました。彼女は緊張した面持ちで、それでも一生懸命にお茶を運んだりとがんばっていました。
「がんばってるね、えらいね。」と声をかけるとふと涙ぐんだりもしていましたが・・・
で、先ほど・・・ チャイムがなって、玄関に出ると彼女がしおれ果てた様子で言葉もなく立っていました。見ると裸足です・・・
「あれま、裸足で・・・ まァ良いからお入りなさい。寒いでしょう、ホラ、ストーブの前に座って少し温まってからのことだよ。」
彼女はモノも言わず、ストーブの前でうな垂れています。ちょうど帰ってきた翔太が何だか慰めるように彼女にくっついています・・・
私はとりあえず牛乳たっぷりの熱いココアを作って・・・
飲み終わって顔を上げたときには青ざめていた顔に血色が浮かんで・・・
そうか、がんばりすぎて疲れちゃったんだね。まァ、無理もないわ、ゆっくりしてお行き。
聞いてみたら、閉じこもっていた自室の窓から塀づたいに裸足で脱走してきたとのこと。
あれま、あんた、ウチのお転婆マルみたいだね〜〜 じゃ、おうちの方が心配すると困るからここにいるってことだけは電話しておかなくっちゃね。
聞いてみると些細なことからお母さんとぶつかったようでした。
あのね、お葬式の準備や何かでお母さんも一杯一杯なのよ。疲れ果てていれば言葉に棘があったってしょうがない。お母さんの大変さもちゃんとわかって労わってあげなさい。
あんたは私の前ではこんなに素直なのにね、お母さんの前でそれが出来ないってのはやっぱり反抗期、お母さんに対する甘え心からなんだよ。ま、帰ったらちゃんと謝りなさいね。
そんな風に言い聞かせると素直に頷いて、明日からまたがんばる、と・・・
まァ、この寒空にどこかへ彷徨う出ちゃう事を考えれば(一度それをやって大騒ぎになったことがあるのです・・・)ここへ来ることで心が治まってくれれば御の字〜
1時間半ほどもいたでしょうか、顔つきがすっかり明るくなって笑い声を立てるようになったところで送って行きました。
帰りがけに私の後姿に向かって、Nちゃんが「明日からちゃんとがんばります!」と声をかけてきました。
まァ、しばらくはこんなことが続くかもしれません。
明日はお通夜、私は受付を頼まれていますし寒そうですから靴に入れる使い捨てカイロを用意したり。明後日がお葬式です。まぁ、おばあちゃまとの約束ですから、出来る限りきちんと見届けてやらなければ・・・
先週は水曜日がお通夜のお手伝い、木曜日がご葬儀のお手伝い、金曜日はお教室、土曜日は陶芸教室、その後に忘年会と大忙しで、身体も神経もクタクタ〜〜
でも、何もかも無事に過ぎて、本当にほっとしています。
昨日は忘年会からの帰宅が10時頃だったのだけれど、留守中にマルが大活躍をしたとみえて、リビングには野鼠の死骸が1つ。ついでにまだ生きているのがもう一匹!!
もう、ラグビー選手よろしく生きている小ネズミを蹴飛ばすやら押さえ込むやらの大騒ぎの最中で・・・ こっちの方はまだ生きているし可哀相だから取り上げてやっぱり裏山に放してやりましたけど。
この分なら「今日のマル」のコーナーでも作って獲物の一覧表載せた方が・・・
何しろ先月末以来、取った獲物はメジロ・ヒヨドリが2羽・ウグイス・モグラ・ネズミが昨晩の分も加えると5匹かな? 私が今まで飼った猫のうちの最優秀賞・・・ 何しろネズミを咥えたその口で、愛を込めて私の顔を舐めてくれようってんですから!! 頭が痛いことですぅ〜 げっ・・・
で、今日はもうすっかり過労気味で午前中一杯は呆然と過ごし、午後からやっと年賀状書きでした。
こっちも夕方には終わり、今夜はクリスマス・イヴだし、これからはのんびりとバッハでも聴きながら読書の予定です。ちょっと頭の中を空っぽにしないと立ち直れないって感じ!
さて、来週1週間で今年も終わりです。
Nちゃんのことでジタバタしっぱなしの1年でしたけれど、でも、考えてみれば私自身が極めて平和な1年を過ごしていたからこそなのかもしれませんね。自分に降りかかる大事があったら他人事どころの騒ぎじゃないわけで、ある意味、これも感謝すべきことなのでしょう。何しろイギリスにも行ったし、yuuちゃんは正会員になったしね〜 ま、良き1年であったのだと思います。
来週からはちょっと感謝を込めて家の中もきれいにしなくっちゃね。 (^^ゞ
先日、「のんびり〜」なんて表題でひとりごとを書いたら、その翌日から、年内に、というコメント付の仕事が二つ・・・
一つは浜岡のホテルからで、カルチャーフロアにアクセサリーを置いているのですが、先月納品を済ませ、これで年内は大丈夫のつもりでいたところ・・・
「ほとんど売れてしまいましたので、お正月用に年内に少し納品してください。」と・・・
もう一件は、40年も前に亡くなった私の父のことでした。
全く知らない方から電話がかかり、「つかぬ事を伺いますが、昔、静岡の国立病院にお勤めだった九鬼先生のご親戚の方でしょうか?」と。
で、末の娘であることをお話しすると・・・
何でも、戦前・戦中・戦後を通して医学界に尽力した人たちの資料を集めてまとめようとしているとのことでした。で、何か資料があれば見せて欲しいと。
元京都大学の医学部の名誉教授をなさっていた方で、京都にお住まいだとか。
「こちらも歳ですので、気が急くことがありまして、出来ましたら年内に・・・」ということでした・・・
一瞬、新手の詐欺かしらん? などとも思ったのですが、どう考えても詐欺の種になるような話ではないし、ネットでお名前を確認したら随分沢山の医学書を出版なさっていらっしゃるようで、やっぱりこれは純粋なご好意なのだろう、と。
それにしても、この年末になって一挙に二つ追加か〜 げーーーだな・・・
で、26・27日と二日間、仕事場にこもってアクセサリーを20個作り、27日の夜に発送。今日は早朝から押入れの奥に仕舞ってあった父の遺品の入った茶箱をひっくり返して。
母がきちんと整理してくれてあったので、案ずるほどのこともなくそれらしきものを見繕うことが出来ました。
明治生まれの私の父は医者であったのですが、母にとってはそのことよりも樺太にいた頃、歌人としての文学活動をしていた父を愛していたようで、そっちの方は随分聞かされていましたけれど・・・
改めて、公人としての父の生き様が感慨深く思われました。樺太・中国そして静岡と赴任した足跡、戦後はしばらく中国政府に徴用されて中国でも医療活動をしていたようです。
まぁ、先方様もお急ぎのようでしたから、こっちが感慨深く読みふける時間もなく、そのまま梱包して、用がすみ次第返却して欲しい旨を書き添えて、発送。
それから午後には暮のご挨拶にお寺を回り、墓掃除なども済ませて、いささかクタバリ気味で、坐骨神経痛が〜〜 イテテテ・・・ これはどうしようもないと整体にも行ってきました。
忙しい3日間ではありました・・・明日からはようやくお正月の準備です。といってもたいしたことをするわけじゃありませんけどね〜 せめてわがオンボロ車のボンネットにベタベタと付いた猫の泥足跡を洗うとか、ちょっとした御節の用意とか、ま、そんなもんで、後は寝正月の準備ですわ。 (^^ゞ