最終更新日 ; Tuesday, 29-May-2007 09:26:00 JST

2007・5月


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 ロウグチテッセン 2007/05/03


皆様は連休でお出かけでしょうか?

私は朝から、次の作品のためのモチーフを探して、花屋と植木屋とを数件、うろついてきました。
最初は椿をモチーフにするつもりだったのですが、何となく他のモチーフが欲しくなって5軒ほどハシゴして、やっと気に入った花を見つけました。

ロウグチ鉄線という花です。鉄線、つまりクレマチスの1種です。葉やつるはクレマチスとほとんど同じなのですが、花はクレマチスのようには広がらずに、釣鐘型で下向きに咲き、濃い紫色をしています。
何だかとても気に入りました!

連休の間中家に篭って、デッサンを取って、デザインを決めようと思っています。
ちょっと楽しみです〜〜♪
気に入った花に出会えてウキウキしながらの帰り道、COOPに立ち寄ってミルクバー、一箱買っちゃいました。6本入り。そろそろアイスキャンディーが食べたくなるような初夏の陽気です。





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 麻雀 2007/05/06


昨日は菊川のSさんからお誘いがかかり、菊川まで行ってきました。
Sさんのお宅では単身赴任中のご主人と、大学生の息子さんの一平クンがGWで久しぶりの帰宅中。そこで麻雀をしようということになり、面子が足りないとのことで、一番暇を持て余していそうな私にお呼びがかかったと言うわけです。

こっちも丁度デッサンにも飽きた頃とて、丁度良い気分転換とノコノコ出掛けて行った次第。

麻雀は、主人の存命中には和とご主人との4人で良くやったものでした。あの頃は、今高校3年生のシンゴがまだ赤ん坊で、寝かしつけてからその傍らでチーのポンのロンの、と・・・ それ以来ですからもう随分とやってはいないわけで、まァ初心者並みの腕前なんですけれどね〜 (^^ゞ

午後の3時くらいから、夕食のご馳走に預かりながら夜10時頃まで!
その後、ご主人様手作りのプディングをご馳走になって10時半過ぎに失礼して、帰宅したのはシンデレラ! 玄関先では翔太とマルが、一体、今、何時だと思ってるんだ? とばかりに文句タラタラで〜〜
亭主よりもうるさい猫たちであります・・・ (・・;)

でも久方ぶりに楽しいひと時でした。
さて、英気を養ったところで、本日はデッサンしたものを最初の色見本を兼ねて試し焼きしてみようかと思っています。





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 制作日誌の開始 2007/05/13


連休中、散々ロウグチテッセンのデッサンを取って、試し焼きを2枚ほど作ったのですがそれは放棄、別なデザインで仕事を始めることにしました。

と言うのも、早々と決めていた今年のテーマは「黒」
去年・一昨年と、黒紺をバックに使って、何となく研磨がわかって来たような気がしていますので、一番難しい「黒」の研磨を試みようと思っているのです。
「黒」の研磨は今までは怖くて手が出なかった・・・
かといって、これも体力勝負・気力勝負だから、いつまでも先延ばしにしていると、結局のところ手が出ず仕舞いになっちゃうかも〜と、自分の体力を考えると今年あたりがいい時期なのかもしれないなんて・・・

で、背景が黒となると、やはり柄は派手目に決めたいわけで、そういった意味でも濃紫のロウグチテッセンだとちょっとね。がんばってみたけれどやっぱりさびしい・・・まぁ、これはデッサンさえとって置けばいつでも使えるわけだから、また今度ということにして今回は放棄しちゃおうと、やっと放り出す決心が固まりました。

で、今年はじめに描いたデッサンを元にして、やっとデザインが固まったところなの。
今回は角物の筥だからどうしても焼きゆがみが出やすいので、今日は焼き歪み防止のための焼成台を作ったところです。明日はカルチャーのお稽古日だから出来ませんけれど、明後日からいよいよ始動です!
今週半ばくらいから、また「制作日誌」も付け始める予定です。
お暇な時にでもご覧くださいませ〜〜





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 最悪〜〜! 2007/05/17


夕べ、作品の方は下地が完成して、さて今度は植線、と、とりあえずは一段落。

で、今朝は検査をしに病院へ行ってきました。まァ、年に2回の定期検査。本当は先月あたりに済ませているはずなんだけれどバタバタしていてほったらかしだったし、それに先週の金曜日あたりから毎日夕食後の胃痛に悩まされていて、日中はなんてことはないのに夕食後に、と言うのは多分過労だな、と。でも仕事に一段落つかないと半日病院でつぶす気にもならないし、どうしようかなと思っていたところで、今朝は大雨。よし、これなら患者も少ないかもしれない、と出かけたわけです。

飲まず食わずで、8時半に病院へ到着。検査の申し込みをして名前を呼ばれたのは9時半。 血圧脈波検査とやらいうヤツで動脈硬化の検査をし、心電図をとって、どちらも異常なし。胃の方は胃酸の出すぎだとのことで新しく胃薬をもらい、最後に血液検査のための採血。やれやれこの分では10時半には終わるな。

採決しに現れたのは新顔の看護婦さんだ。
「あの、私、血管が出にくいのでいつもココから採血していただいてるんですよ。」
「大丈夫ですよ〜 ちゃんと出ますよ。」
と、彼女は私の指定する場所以外の血管にブスリ。
「あら、出ないわ・・・」と、2〜3度刺し直し・・・イテテテ・・・
「ちょっとそっちの手に変えましょう。」と、今度は左手を要求され。
何とか無事に採血が終わった。
その後、検査結果は10日後にとのことで、受付で薬を待っているときにどうも注射のあとが痛い。おかしいなぁ? と袖をめくってみてアラびっくり〜〜左手の注射の跡が拳半分ほどの大きさに腫れ上がってる!
げ、血管を突き抜けて反対側から血液がもれてるんだ・・・くそ!

仕方がないから受付に行って、こんなに腫れてるけどこのままでいいかしら?
事務員さんはびっくり魂消てお医者さんのもとへ。またまたしばらく待たされた後に呼ばれて、念のために圧迫帯を巻きましょう、と。
終わったのは11時過ぎ・・・
腕は痛いわ、飲まず食わずだったから目が回るほどお腹は空くわ、病院を出てから一目散に斜め向かいのたこ焼き屋に飛び込んで、とにもかくにもお腹にたこ焼きを詰め込んで〜〜

そういえば今朝のワイドショーの星占い、みずがめ座は最悪の一日って・・・
当たったわ・・・クソ・・・いいことで当たったためしがないのに!! でも美味しくたこ焼きが食べられるんだから、胃の方は心配ないわけで〜 ま、いいかー (^^ゞ





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 事件続き 2007/05/19


昨日は座り込んで朝から植線。つけっぱなしにしてあるTVからは様々な事件が流れ出す。

母親の切り落とした首をバッグに詰めて自首した17歳の少年。
1歳数ヶ月の我が子をオートバイのヘルメット収納スペースに詰め込んでパチンコに出かけ、気付いた時には死んでいたので遺体を山林に遺棄したという若い母親。
DVが理由で分かれた女房との復縁話の末に逆上して、我が家に立てこもり発砲を続ける50歳の元暴力団員・・・

どうしてこんなにもわけのわからない事件が立て続くのだろう?
どうかしているよ・・・ 何かがヘンだ。

立てこもり事件は夜になって解決した。神の水と称するペットボトルを片手に持って投降した50男。一人を射殺し、もう一人は脊椎損傷の重体だというから下手をすれば麻痺状態になるであろう重篤な容態に追い込んで、でも、こうなってしまったことを一番びっくりしているのは実際のところはこの男なのかもしれない・・・
民放では一日中実況中継が続けられて、まァ、はっきりとした発言ではなかったけれど、いかにもせっかくSATが出動しているのだからどんどん解決してしまえばいいのに、というような口ぶりも聞かれたわけで。

その間、40年近く前の広島でのシージャック事件を思い出していた。あれが、SATが犯人を射殺した最初の事件ではなかったか?
よど号事件の直後ではなかったかしらん? 私と同い年の青年だったな。妙に鮮明に心に焼き付いている事件だ… あの時、船上で左胸を撃ち抜かれて倒れた青年の映像が実況中継で流されたっけ・・・

私が若かった頃、凶悪犯罪に手を染める青年たちは、シージャック事件の犯人にもせよ、永山則夫にもせよ、ありったけの悲惨な子供時代を送っていたわけで、それに引き換え裕福ではなかったにもせよ大学で学んでいる自分のことを多少後ろめたく思ったりもしたものだ。
でも最近の若者の犯罪は、むしろ裕福な家庭に育ったものの方に多いような気がするわけで、豊かさの不幸かぁ・・・ 人の欲望は限りもない・・・


そんなことを脈絡もなく考えながら、一日中植線をしていました。本日午前中でやり残した部分を終えられそうです。
一昨日の注射の跡は、ものの見事にアオタンに変わって、まだ曲げ伸ばしをするときにちょいと痛い。でも左腕でよかった・・・
みてくださいよ〜このアオタン!!





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 黒地 2007/05/22


今朝は5時半起床。6時から仕事に入りました。二番ざしです。
本日が最終日の知人の染織家の個展にも行かなくちゃならないし、かといって、黒地の作品ですから途中で一旦乾かしちゃったりすると糊のシミが出来易いわけで、ココは一気呵成に施釉をするのが安全策。
まァ、予定通り、6時間後の12時には完了して、糊抜きをしたあと焼成台に嵌めて焼くばかりにして、一旦終了。

家を飛び出して、個展の会場へ。そこでしばらくおしゃべりをして。

帰宅後に焼成いたしました。
糊ジミが全くないことを確認して、ほっと一息ついたところです。

25〜6の、七宝をやり始めの頃、東京のサントリー美術館で「日本の七宝」という展覧会を観ました。その時に、明治時代の七宝作家の並河靖之の「四季花鳥図花瓶」を始めて目にしたのです。
その黒地の艶やかな美しさに魂を奪われるような思いをして・・・ 以来、黒地の作品を一度手がけてみたい、と、それが夢の一つでした。

黒地は、技術的な意味合いでも、焼成も難しいし研磨も難しいのです。
釉薬の洗いが悪くても、糊が濃すぎても、糊のシミがありったけ目立っちゃうし、研磨も、余程丹念にやらないと、研ぎ筋が目立ってしまう。
憧れているのだけれどとても自信がなくて手が出せないという状態でここまで来てしまったわけ。

で、一昨年、去年と、黒に近い黒紺を使ってみて、これならやれるかな? と、今年のテーマは「黒地」に決めたのです。だから、今はちょっとドキドキしながら作ってるのです。 (^^ゞ

焼成はあと1回。気を抜かずにやれば大丈夫かな? 研磨は6月に入って、yuuちゃんのお教室展を観にいってから取り掛かる予定です。





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 安上がり 2007/05/26


先日のアオタン、あれから見るも無残に黒ずんで範囲も広がり縦は15センチ、横は腕を半周・・・ 長袖ならばいざ知らず半袖ともなるとみっともないったらありゃしない。
そこで昨日、土曜日には陶芸教室に出かけることだし暑くなるという予報でもあるし、と近所のドラッグストアで腕用のサポーターを購入してきました。

サポーターってけっこう高いんだ・・・ 医療用だと1500円くらい、スポーツ用だと800円くらい。勿論、関節が痛いわけではない、たんに見かけだけの問題なのでスポーツ用の安い方でいいか、サイズはあらら、Sはない、MとLしかないのか、いいやMで〜 とまことにいい加減。

家に帰って試しに装着〜〜
え? これ、L? 私、サイズ、間違えた?? それとも腕用じゃなくて足用を買っちゃったわけ? ためしにふくらはぎにつけて見たらこれがぴったり・・・
何しろ、装着して腕を一振りするとサポーターがスポンと抜けて飛んでいく・・・ つまりはブカブカという表現だって通りすぎてるくらいだわ。クソの役にもたちゃしない。 あわてて袋を確かめると、ちゃんと書いてある。「腕用M」って・・・ でも、男女兼用とも・・・ あれま・・・

だけど、袋は破いちゃったわけでいまさら返品ってワケにも行かないし、いいや、太極拳のお教室にでも持っていけば誰かが使ってくれるかもしれないし、と・・・諦める・・・ 安いほうを買っておいて良かったよ・・・

その後、夕方に草薙まで出かける用事があり、帰り道に立ち寄ったスーパーでは2階に100円ショップが併設されており、ついでのことに覗いてみたらサポーターが! しかもキャッチフレーズが「3倍伸びる!」
おぉ〜〜小さい、いいかも〜〜〜 とばかりに購入!!

これがぴったりでした。
何しろ標準サイズとは程遠い私のこと、これからは何か探す時にはまず100円ショップからだな、材料費をケチって小ぶりに出来てるのを探すようにしよう・・・ なにしろ安上がりに出来てるんだ、私は・・・ 最初からここを探していたら8枚も買えたよ!! 





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 棺の蓋を覆いて 2007/05/29


人の一生は棺の蓋を覆いて定まる、これは子供の頃、両親から始終聞かされてきた言葉です。その時々の幸不幸に振り回されることなくまっすぐに生きよということなのだろうと私は解釈しているのですが。

昨日からの松岡農水相の自殺の報に接して、まず頭の中に浮かんだのがこの言葉でした。

まぁ、死んでしまうしかないと心に決めざるを得ないほどにも様々なことを抱えていたのでしょう。しかし、その抱えている様々なことがらは、かつては己の権勢の生み出すものとして自慢の種だったことがらかも知れず、周りからは上り詰めた人としての羨望の眼差しを向けられていたのかもしれません。
突如暗転する他人の人生を目の当たりにすることは、その発端の善悪はさておいても、やはり何かしら心が痛みます。勧善懲悪、ざまをみろ、と単純にいうわけにはまいりません。

誰の人生にも色々な形で落とし穴が仕掛けられているものでしょう。幸不幸は、まるでメビウスの輪のように、表と思えば裏、裏と思えば表と、連綿と果てしなく繋がっているわけで、歳をとるということは多少なりともその経験を積み重ねてきたということに他ならず、昨日の自分と今日の自分と、この落差は一体何なのだろう? と考え込んでしまった経験もあるわけですよ。それに照らしてみると、やはり誰のどのような身の上にもせよ、起きてしまった暗転には涙せざるを得ない・・・ただ、仕方がないよね、種をまくのは常に本人自身だもの。

人の一生は棺の蓋を覆いて定まる、と、やはりこの言葉を肝に銘じて、時々の幸不幸に振り回されることなくまっすぐに生きていくしかないな、と、そして、まんざらでもなかったなと静かに棺の蓋を覆うことが出来たら一番の幸せなのかもしれないと思ったりするのです。
まァ、どっち道、私なんぞ既に人生折り返して久しいわけで、年々歳々、冥途のたびの一里塚という意識も自然に湧いてくるこの頃、やはり欲を少なくしつつ、心静かに作品と向かい合っているこの時間を大切に生き抜くことが何よりの幸せなのでしょうね。





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