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先月末には、ワケのわからないゴタゴタ話にしばらく巻き込まれて疲労困憊。挙句の果てに風邪までひいて、細木数子サンの占いによると私は、10月は乱気だそうで、まァ、良くないことだけ良く当たる・・・
さて、いつの間にか11月。今週末には半月ですけど恒例の観月会ですし、気分も新たに楽しくがんばらなくっちゃね〜
随分急激に寒くなりました。庭の次郎柿も取りごろで、先ほど収穫を済ませました。今年は裏年でほんの10個くらいの収穫でしたけれど。
何しろ老木。私が子供の頃に既に大木だったのですから・・・7〜80年は経っているのではないでしょうか。丈ばかり高くて、脚立に乗っての収穫です。しかも斜面になっていて、お転婆サンでもいささか怖い。したがって、取り残さざるを得ない数個は鳥さんのもの!
もう既に4〜5個は穴をあけられていましたしね。鳥さんと半分っこです。
まぁ、欲張らないこと。欲張らないことが平穏の基なんですから!
しばらく家にこもって仕事三昧の毎日で、ちょっとストレス溜まってるかな? 今日みたいに曇り空だと家にいるのも苦にならないけれど、青空が広がると、遊びに行きたい〜なんて・・・
12月2日は、3日から始まる静岡カントリー浜岡のカルチャーフロアでの5人展の搬入です。
で、それが終わるのが25日なのに20日からは修善寺の三笑さんでのふたり展、こっちは前田氏と七宝だけのふたり展なの。
それで、まぁ忙しいこと!! 今月はとにかく制作三昧に過ごさないと間に合わない・・・
なんとかしなくっちゃ〜〜〜
どうも私の持っている運勢は、仕事が忙しい時には、公私共にそれ以外のことも忙しく降りかかってくるらしい。
文字通り「怠け者の節句働き」が始まると、それを待っていたように他所からの揉め事、相談事、頼みごとが同時にいくつも押し寄せてくる。まぁ、普段の怠け者に罰が当たったと観念して、仕事の合間に出来ることからせっせとこなすことにしている。若い頃から毎度のことなので、慣れているといえば慣れているわけだけれど・・・
それに、やっぱり、他所さまに頼りにされるうちが華よ、ってことだろうとも思うわけだ。
もっとも、この貧乏人、逆さにして振ってみたところで鼻血も出ないのは周囲にまで知れ渡っている事なので、お金の相談ごとだけは全くない! そう思うと貧乏人もいいものだ!! (^^ゞ
昨日から久しぶりの青空が広がっている。メジロもやってき始めたし、時折鋭く鳴く百舌鳥の声もあたりを切り裂くように響き渡る。取り残した柿は皮を残すだけとなって、枝先に垂れ下がっている。
窓から見える近くの小山で紅葉しているのは桜だろうか・・・ 空気も鋭くなってきているようだ。
ドタバタの果てに、そりゃあ、言いたいこともあるけれど、言葉にしたら心が逃げる。所詮、言葉って抽象に過ぎないのだしね。
喋り過ぎなんじゃないの? 大事なことは心の行間に閉じ込めてじっと温めておかないと思いもなにも擦り切れちゃうよ・・・ 覗き込むべきは自分の心、他人さまのそれじゃない・・・
まァ、このことは日頃強く自分に言い聞かせていることなんだけどね。
最近、世の中は「正義」だらけだ・・・そもそも「正義」とは何か? 時代や民族、その他諸々を乗り越えての絶対的正義というものが存在しうるのか? 突きつけられる正義に、そりゃ確かにそう言えるのかもしれないけれど・・・と言葉を失ってしまうのは私だけなのだろうか? 紋切り型の浅薄な「正義」が絶え間なく垂れ流されているような気がする。
テロと空爆とは一体どこに差があるというのだろう? などと考えてしまう私にはそもそも振りかざすべき正義など持たないわけで。
大仰に「正義」が罷り通る時代というのは何がしかの閉塞感に満ちた時代なのではないだろうか? などと考えてしまうことすらある。
何事かに対して、これが正義だと言い放つことに、私は深い逡巡を覚える。おい、おまえさん、それって本当かい? 本当に心底そう思っているのかい? と私の中で何かがささやくからだ。
人ってそんなに一面的なものじゃないだろう? 感情の苛立ちを「正義」という名のオブラートに包みこんで自分以外の何かに投げつけているだけってこともあるよ。そういうみっともない自分が否応なく存在するということにも気付くべきだよ・・・人は黒でもなければ白でもない。黒と白の狭間に絶え間なく漂うものだ。と、私はそう思っている。
そこを容認しきれない偏狭さが生み出す「正義」なんて。野暮の骨頂だよ・・・
誰かが言ってたな。「怒りの沸騰点」が下がってきている、と。